◆三門の言葉◆
馬追虫の
髭のそよろに
来る秋は
まなこを閉じて
想ひ見るべし
長塚 節

なぜ玄奘三蔵法師の跡を追うのか
松原 哲明
人間、オギャーといって生まれて、人生の幕が切って落とされる。そして、与えられた寿命を尽くして死んでゆく。
人間、死んで人生の幕が閉じる。幕が開き幕が閉じるといえば、舞台である。劇場だ。言い換えると、人間の一生は人生劇場だ。その舞台で、あなたはあなたの人生を作・構成している。主役はあなたである。しかし、肝心の主役が、脚本を持っていないのはどうしたことか。
舞台なのだから、共演者もいる。そしてうまく演ずるように、舞台の監督も必要だ。いわゆるコーチである。コーチがいないと、演者は勝手なセリフを吐き、我流の演技をする。そんなことをされては、とても人さまにその舞台は見せられないではないか。ところが、私たちはみんな人生のコーチを持つことなく、アドリブで毎日の舞台を演じているのだ。本来ならとても見せられない劇を周囲に見せつけている。これが、どうして恥ずかしくないのだろう。
野球でもゴルフ、サッカー、お茶、お花などでも、みんなコーチがいる。それを我流でやられては、チーム・ワークもあったものではない。コーチをつけるのはプレーの我流を戒めるためである。釈迦はまず自分自身の人生のコーチをつけるように示した。これが仏教の基本である。ゴルフでも野球でもきっとそうだと想像するのだが、ただ、やみくもにクラブやバットを振っていてはいけないのではないか。やはり、自分にとってのテーマを定めて、そのテーマに従ってトレーニングすべきなのだろう。人生だってそうだ。人生には必ず終わりがくると分かったならば、ただ生きているのではなく。残りをどう生きてみせるのかテーマを定めておきたい。そう言われたのが釈迦であった。何のために生きるのか、自分に人生のテーマを持てとしたのである。
さらに釈迦は言われる。私たちは一人では生きられないと。よって、仲間を探さなくてはならぬ。よくも悪くも人生は仲間次第ゆえ、いい仲間を持てと。
これが仏教の根本思想の三宝の教えだ。ここでは形を変えて人生のコーチ、人生のテーマ、人生のよき仲間としておきたい。これが釈迦仏教である。
人生のよきコーチ、よきテーマ、よき仲間の三つをあたかも宝物のようにかかげて生きていけと言われたが、人生の導師や、よきコーチなんてほとんどいない。いないからそれを持てという仏教が、とても新鮮な教えに思えるではないか。
この教えを求め、天竺(現在のインド)へ行き、これを写し終えて中国へ持ち帰ってきたのが玄奘三蔵法師だ。
玄奘は当時の世の中に欠けていたものを求めて帰り、人々に広めたのである。宗教者は世直しができなければ宗教者とはいえない。宗教者は救世者でなければならぬ。玄奘を見ていると、そう思わねばならなくなってくるのだ。
しかも玄奘は、商人たちがモノを運びカネに換えたシルクロードに、何と教典を伝えるため生命をかけたのである。これを、どうして感動せずにおられようか。
シルクロード経由で、パミールを越えて天竺に達した日本の僧はただの一人としていないと言うことを、早稲田大学の長沢和俊先生にうかがったことがある。遣唐使のなかで行こうとした人はいるけれども、行くことはできなかった。たとえば、真如もラオスあたりから天竺入りを試みたが、途中で虎に襲われて死んでいる。だったら、私がパミールを越えてみようという欲が湧いてきた。せっかく僧に生まれたのだから、なんでもいい、新しいことをやってみようと思ったのである。
もちろん一人で行けるわけはない。よって、友人の僧たちとツアーを組んで旅をしている。そして私のように体の弱いものでも、長い時間をかけて一つ一つ続けていくと、何とかやれるものだということを教えてもらっている。そしてシルクロードを歩くたびに「玄奘というのはすごい人だ」とおもうし、「求法というのは、ああいうことをいうのだな」と感動する旅を続けているのである。飛行機やジープを使って旅をしても苦しいのに、そこをあの方は馬などで歩かれたのだからすごい人だ。
(松原哲明著「おまえ、命がかわいそうじゃないか」から抜粋)
禅の会軽井沢 体験記
縣 信元
毎月行われている龍源寺坐禅会のワンランク上のレベルを目標に、僧堂(禅の専門道場)に準じたカリキュラムで、禅僧の生活の一端を体験するという禅の会軽井沢が、立秋を迎えたばかりの八月九日から十一日までの三日間開催され、十二名が参加した。初めての会なので時間の流れに沿っての生活をご紹介したい。
【第一日目】
十六時 開会式
この会をご指導される信樹副住職より開会にあたってのお話あり。持鉢三個、箸、布巾、茶碗、聖典などをいただき、この期間中常に自分の物として使用するようにとのことであった。
十六時半〜十八時半 坐禅(二時間) 禅堂の窓を全て開放して坐禅。途中で茶礼あり、甘いシソ茶を戴く。薬石を知らせる木板の打ち音が聞こえる。
十八時半〜 薬石(夕食)
それぞれ自分の持鉢を持って食堂へ。直日(信樹副住職)のもと飯台看(給仕当番)が指名され、典座役の真紗子さんによる生姜入りのご飯・野菜の煮物・若布の汁・漬け物の夕飯を柝一声で静かに戴く。食後自分の持鉢等を次の食事に使用するよう湯で奇麗に後始末する。以後飯台看は参加者が毎食交代で担当する。
十九時半〜二十一時 坐禅(一時間半) 禅堂の窓を全て開放、豆電球の明りで坐禅。蚊・蛾・虻が飛び回り、頻りに首筋頭などに止まるが努めて我慢。軽井沢の蚊は不思議と刺さないが、仏心があるのだろうか。直日(信樹副住職)の厳しい警策の音が堂内に響く。途中で茶礼、以後蝋燭の灯になり、初秋の夜風が心地よく肌をなぜていく中で参禅の人たちの影が揺れている。軽井沢ならではの幽玄な雰囲気の中で心静かに坐禅をする。
二十一時〜 開浴(入浴)
新しく広い浴司(浴室)で一日の汗を流す。
二十二時 解定(就寝)
女子は星雲苑の二階に、男性は禅堂でそれぞれ就寝することになった。
【第二日目】
五時 開静(起床)
木板の音と共に起床。
五時半〜六時半 坐禅(一時間)
朝のすがすがしい空気の中、小鳥の声を聞きながら坐禅。
六時半〜 粥座(朝食)
それぞれ自分の持鉢を持って食堂へ。お粥・漬け物の朝食。柝一声で般若心経と食事五観文(食前のことば)を唱和して静かに戴く。後片付けは前日の 飯台看が行う。以後このルールに従う。
七時〜八時 日天掃除
それぞれの分担を決めて食堂・東司・浴司・禅堂・庭などの清掃。また不要品・小枝などの焼却。
八時半〜十時 坐禅(一時間半)
柝一声引磬三声が響き止静に入る。途中で茶礼。やはり足が痛い腰が疲れるが皆静かに座っている。時折直日の警策の厳しい音が響く。
十時〜 斉座(昼食)
木板の知らせで各自持鉢をもって食堂へ。普通の生活からすると早いが、これが禅僧の生活という。うどん・薬味(生姜・ネギ・ゴマ)漬け物である。めん類だけは存分にすする音を立ててよいのでにぎやかである。
十一時〜十二時 坐禅(一時間)
十二時〜十五時 作務
母屋の庭、禅堂の周囲を苔の庭にするため、落葉の廃棄・草引きと清掃を行う。落葉が厚く堆積しているのを除去し、草を取り、不要の枝の剪定するなど多くの作業を手分けして担当する。
途中で二回茶礼があり、冷えた西瓜の御馳走である。汗をかき喉の乾いたところだったので、なんと美味しいことか皆十分いただいた。
長い間堆積していた落葉も取り除き、緑の苔が鮮やかによみがえって一同大満足で終了した。
十五時〜 開浴(入浴)
昨日以上に汗を流した後なので、気分も爽快となる。
十六時〜 薬石(夕食)
各自持鉢をもって食堂へ。トウモロコシ入りご飯・じゃがいものコロッケ・漬け物を美味しく戴く。
十七時〜十八時 坐禅(一時間)
十八時〜十九時半 講席
哲明住職より「無門関」の中の「趙州狗子」の講義あり。禅の極意、三昧の世界、同一体の世界について、いろいろな詩文を例にしてご説明をうけた。なかなか俗世の常識では理解することが困難であるが、今後の自分の思考や行動の中に生かしていきたいと思った。
二十時〜二十一時 坐禅(一時間)
昨日と同様窓を開放し豆電球のともる中、虫類が襲い来る、足腰は痛い、が秋の夜風が心地よい。三昧の世界へと努力するも、そこに到るにはなかなか道遠しのようだ。
二十二時 解定(就寝)
【第三日目】
五時 開静(起床)
五時半〜六時半 坐禅(一時間)
今日も晴天。すがすがしい朝の禅堂は、鳥の声と直日の警策の厳しい音が交差している。
六時半 粥座(朝食)
木板の知らせで各自持鉢をもって食堂へ。米二合を十五名で食するという薄い粥である。お粥の桶に天井が映るくらい薄いので、「天井粥」と揶揄するそうである。これが禅僧の生活とのことである。梅干し漬け物などだけだが、美味しい。お代わりは自由である。
七時〜 日天掃除
最終日なので、男子の布団類を禅堂から星雲苑に戻し、食堂・浴司・洗面所等の清掃。雨戸などの戸締りをする。
八時 閉会式
茶礼として、美味しい茹でトウモロコシの御馳走があった。
信樹副住職の閉会のご挨拶のあと、参加者一人一人の感想と謝意を述べ、哲明住職、真紗子さんからもお話を戴いた。今回の食材の野菜は、みな土屋さんからいただいたことも披露された。作務で綺麗になった禅堂の前で記念撮影をして九時過ぎ散会、それぞれ帰途についた。
今回の禅の会は、右記の通り坐禅と作務と食事の三つの事だけで過ごした、まさに禅僧の生活の一端を垣間見たに過ぎないかも知れません。しかしラジオ・テレビ・新聞などから一切遠ざかり坐禅だけでも十時間に及ぶ体験は、足の痛さの苦痛を超えて大きな心の糧を得た様に感じる三日間でした。今後恒例の会となるやのお話もあり、多くの方々が参加されることを願っています。 (縣 記)

見 跡 (五十)
弘舵郎
ものおもう秋とはなりぬ。
酷暑の続いた夏、炎天下の秩父巡礼の夏も去り、時に涼風の流れる秋に入った。古人はもちろん、私でさえなんとなくものおもう季節である。日本にはありがたい春夏秋冬があって生活に変化を与えてくれる。また与えられた時間、つまり生命に時の経過を教えてくれる。今年の水晶会の書展の時、床の間にあった村上先生の雪月花の大軸は印象に残っている。白居易の「琴詩酒ノ友皆我ヲ抛ツ、雪月花ノ時最モ君ヲ憶ウ」の雪月花であろう、雪につけ、月につけ、花につけ、友を憶う白居易の友情である。また道元には本来の面目と題して「春は花、夏ほとヽぎす、秋は月、冬雪さえて冷しかりけり」とうたって、本来の姿を現す自然に学ぶ歌もある。話は外れるが今年の二月西安の旅から日本に帰ってつくづく「青い空」「よごれのない緑」は「ありがたいなー」と感じた。古い話だが終戦の翌年復員船熊野丸に事務官として乗船勤務し中国のコロ島から引揚者を乗せ豊後水道を通って大竹に入港したことがあった。この時船が瀬戸内海に入るとプーンと松らしき匂いが船に伝わってきて「あーこれが日本の匂いか」と強く感じたことが、いまも記憶に残る。
秋が来れば浮かぶ句を二つばかし書くとする。「小言いふ相手もあらば今日の月」一茶です。いい月だなあと感嘆しても「そうネ」同感の声もなく、「冷ヤッコで酒の支度してくれ」という相手のほしい月をよんだのかな。八月の南無行で四時半に起こされて見た薬師寺の西塔にかヽってた残月も印象的だった。でも句は生まれなかった。
「飛ぶ蛍あれと言はむもひとりかな」炭太祇です。ほたるだと言っても「どこどこ」の声もない独り者の淋しさに同情をよぶ句である。私の五七五は七月二十一日のことですが「初せみだ柿の木だよと孫のいふ」である。
◆編集便り◆
★やっと秋らしくなりましたが、今年の夏はとても暑かったですね、
そのためか心臓を病んでいた我が家の愛犬が十三歳六ヶ月の寿命で、
死んでしまいました。毛の長い犬でさぞ暑かっただろうと、可哀相でした。
「春昼や物思ふ気な犬の顔」
九月六日から九日まで北海道三十三観音巡礼の旅に行って来ました。
後半は天気にも恵まれました。今年で三回目、来年は満願の旅となります。 (晃)
★八月の禅の会軽井沢に参加しました。
坐禅に始まり坐禅で終わるアルコール無しの三日間。
爽やかな風、厳しい警策、持鉢で頂く精進料理。
汗だくの作務と開浴そして講席。
まるで頭から足の先まで中身が入れ替わったような体中が洗われた思いでした。 (豪)
★立山に行くと早くも樹木は色づいていました。
花と同じに今年は紅葉も早いようです。
秋の旅行の計画は早めにお取り下さい。 (慎)
★路地裏の小さな庭の、小さな梅の木に小鳥が巣をつくりました。
都会の小鳥も住宅難なのですね、こんな処に居を選ぶなんて。
うまく巣立ちが出来るとよいのですが (善)