◆三門の言葉◆
江月
照らして
松風吹く

スペイン巡礼路を訪ねて
松原 行樹
二〇〇二年五月十六日から二十七日まで、スペイン北部の巡礼道を歩いて参りました。同行は私が修行をしていた平林寺の大先輩でもある、埼玉県熊谷市の松岩寺副住職・花岡博芳師です。
八世紀初頭、イスラム勢力がアフリカ大陸から侵入してきて、キリスト教徒達は北部へ逃れることを余儀なくされます。しかし九世紀初頭、北部ガリシア地方で星に導かれた羊飼いがキリストの十二使徒の一人、聖ヤコブ(スペイン名サンティアゴ)の墓を発見しました。十二使徒というのは、キリストから直接教えを受けた弟子のことです。そしてそれがスペインをキリスト教徒の手に戻そうというレコンキスタ(国土回復運動)の直接的な原因の一つになったのです。イスラム軍の脅威がある地域には立ち寄らないように、ヨーロッパ中からサンティアゴ・デ・コンポステーラに続々と人が集まるようになり、その場所は別名・星の野の聖ヤコブと呼ばれ、ローマ・エルサレムと並んで、カトリックの三大聖地となったのです。それ以後、道を整備し、教会を建て、病院や橋の建設など様々な分野で巡礼者たちを迎え入れました。フランス国内を抜けて、ピレネー山脈を越え(越えないルートもあります)、スペイン国内だけでも約九〇〇キロメートルになる巡礼路なのです。
まず「奇跡の泉」として世界に知られる都市となったフランス・ルルドへ向かいました。
それは一八五八年、当時貧しい粉屋の少女であったベルナデットが薪集めに岩山へ行くと、そこに聖母マリアが出現したと主張。マリアの言う通り地面を掘ると、水が湧き出て、その水を患部にかけるとどんな病気でも治ってしまうという言い伝えが広まったのです。現在でも年間約三百万人以上の人々が、この言い伝えにあやかろうと訪れています。
巡礼路では道に迷わないように、道の脇には(石にも)黄色い矢印が書いてあります。それをたどって行くと、最終的にサンティアゴ・デ・コンポステーラまで行けるようになっています。山道のように何もない所では矢印も目立ちますが、都会に入ってしまうと見つけるのが困難になってしまいます。ですから都会で迷子になる巡礼者をよく目にしました。実は私たちも迷ってしまい、通行人に聞いたものです。また、知らないで違う道を進んでいると、車のクラクションを鳴らして合図してくれるのです。巡礼者同士だけでなく、スペインの全ての人々に後押しされて巡礼者は歩くことができるのですね。それだけ市民に深く浸透しているということでしょう。
日本の巡礼でさえしたことがないのに、なぜスペインなのか?理由は特にありません。ただスペインに巡礼路があるということに興味を覚えたから。旅を通じて、また人とお知り合いになることができました。
人とのつながりを大事にし、今後とも精進してまいりたいと思っております。
秩父三十四ヶ所観音霊場
巡拝の旅
山梨 豪之
龍源寺主宰による秩父三十四ヶ所観音霊場巡拝の旅が六月からスタートしました。毎月第二土曜日(八月は第五土曜日十月は第四土曜日)に廻り、十一月に満願となります。満願の日には鉱泉宿に一泊、満願成就を祝して秩父の夜を満喫する予定です。
第一回 (六月八日 土曜日)
午前十時半、西武秩父駅前に十七名の方が集まりました。信樹副住職、岩沢さんを先達に市バスに乗ってスタートです。札所一番バス停に降りるとすぐ目の前が一番四万部寺。朱塗り銅葺きの観音堂が発願の寺にふさわしい趣です。副住職の先導で般若心経を読経させていただきました。境内の売店には納経帳をはじめ笠、杖など巡礼グッズが揃っています。早速納経帳を購入、ご朱印をいただくと今度は観音堂前での記念撮影、そして二番真福寺に向かいます。案内係り兼撮影係りの土屋さんは大忙しです。
のどかな家並みを通りやがて道は登り坂となって林の中へ入ってゆきます。峠を超えるとそこが真福寺。四十分程の行程。江戸時代、札所が三十三ヶ所から三十四ヶ所になった際、加えられたのがこのお寺だそうで、山の中腹にあって緑豊富な境内は爽やかな風が通り過ぎてゆきます。本堂横の木陰でお弁当となりました。腹ごしらえが出来ると次を目指して出発です。
急な山道を下り二番納経所の光明寺へ、そして荒川の支流、横瀬川の渓流を渡ると三番常泉寺、本堂前には願を掛けると子宝に恵まれるという”子持ち石”がありました。次は参道に無数の石仏が並ぶ四番金昌寺。五番語歌堂は納経所が道の向こう側にある長興寺。時刻は四時、先を急がないと今日の予定が消化できません。納経の済んだ人から順次出発して六番ト雲寺へ。
麦畑の中の農道から石段を上がった境内、振り返ると正面に武甲山がそびえています。そして七番法長寺に到着したのが閉店?間際の四時五十五分。土屋さんが先廻りして何とか納経を済ます事が出来ました。江戸末期平賀源内の設計図を基に再建されたという本堂はここまでのお寺に比べると規模も大きく立派なものでした。ここで土屋さんはタクシー手配係に変身。待つことしばし、四台に分乗して無事西武秩父駅に到着。ここですぐ電車に乗らないのが禅の会の流儀?駅構内の居酒屋に直行してお清め。気がつけば電車は最終の特急。皆さんお疲れ様でした。土屋さんガイド役ご苦労様。お蔭で楽しい一日となりました。。
第二回 (七月十三日 土曜日)
この日の目標は八番から十八番まで約十二qの行程。全て歩いて廻るのは時間的に難しいとの判断で十番まではタクシーで廻ることになりました。岩沢さんを先達に参加者十三名は三台のタクシーに分乗し十時四十分西武秩父駅を出発です。
八番西善寺、早速岩沢さんの先導で般若心経を読経させていただきました。庭には樹齢五百年というコミネモミジの大木、幹周三m、枝周り五十mというみごとな古木です。九番明智寺は朱塗り六角の観音堂が印象的、十番大慈寺は素朴な雰囲気が漂います。
ここからは徒歩、十分程で十一番常楽寺。ご本尊は行基作の十一面観音。境内の休憩所で昼食となりました。食後はおつまみ交換会、甘い物、酸っぱいもの等滋養を満たして午後の出発です。
十二番野坂寺への道は路地裏あり、庭先ありののどかな道、そして繁華街に入って行く頃には雨が降り出しました。ここで時間を短縮すべく順番を変更、野坂寺の次は十五番少林寺、十三番慈眼寺、十四番今宮坊と廻りました。少林寺には秩父事件の碑が立っています。慈眼寺は秩父札所の創始者と伝えられる十三権者像が祀られています。又「目薬の木」がありその葉で煎じた冷たいお茶が振舞われ、乾いたのどを潤しました。ちょっぴり霊験あらたか?な香りです。そして十六番西光寺へ。いつの間にか雨も上りました。西光寺には本堂の脇からコの字型に廻る回廊堂があり、中に四国八十八ヵ所の本尊と同じものが納められています。これを拝めば四国八十八ヵ所を廻ったのと同じ功徳が得られると言うわけです。四時過ぎ十七番定林寺に到着、本堂脇に立派な鐘楼がありました。今日の最終目的地、十八番神門寺に到着したのが四時半、余裕を持っての到着です。読経と納経を済ませると早速タクシーを手配、例によって西武秩父駅構内のお清め所に・・・電車も前回と同じ終電車、どうやら秩父参りのパターンが定着してきました。今回も土屋さんには大変お世話になりました。次回もよろしく!
合掌
龍源寺写経発表会のお知らせ
龍源寺写経会では一日一書真心をこ めてをモットーに、書の基本に取り 組み、又ある時は祈りの写経、喜び の写経を続けて参りました。お蔭様 で、来年五年目を迎えるにあたり写 経発表会を開催させて頂くことにな りました。
皆様どうぞご気軽にお出かけ下さい ます様ご案内申し上げます。
龍源寺写経会
日時 平成十四年十一月二日(土)
午前十時〜午後十七時迄
場所 龍源寺花園会館
秋の軽井沢・日月庵の集い
場所 群馬県北軽井沢町応築地蔵堂
日時 十月十二日(土曜日)〜十四日(月曜日)
現地午後二時集合 最終日午前解散
会費 五千円(一泊の場合二千五百円)

見 跡 (四十九)
弘舵郎
観音巡礼のこと
七月からお寺の主宰、土屋さんの先導で秩父の巡礼が始まった。今年は壬午の午歳で秩父の観音様が十一月三十日までご開帳である。観音さんの手を結んだ五色の紐が本堂の外に出て巡礼者と手をつなぐことができる。握手である。話はそれるが船が出帆するときの五色のテープはこれに由来している。何故午歳かというと性空上人はじめ十三人の権者が秩父の巡礼を開創したのが文暦元年(一二三四年)甲午の年であり馬は観音様の眷属であるからとある。然し性空上人は書写山円教寺の創建が九七〇年であるから上人説は疑問である。信仰から始まった巡礼も次第にリクリエーション的になり江戸時代より盛んになったらしい。
私の巡礼の動機は、地獄に落ちるのは必定と覚悟はしても極楽の方が望ましいのは当たり前、あの世に行くと閻魔大王が裁きの庭で地獄行亡者が多くて困り「誰か善事をした者はいないか」というと「ハイ百観音を満願しました」「よし極楽行きだ」ときめたそうで、この話を聞いて百観音巡礼を発願した。昭和六十年頃から秩父三十四観音、坂東三十三観音、西国三十三観音を巡拝して平成十年四月二十日に谷汲山華厳時で満願となっている。巡礼地には番外という寺が数ヶ寺、満願したら、善光寺、北向観音、三峰神社にお礼参りをしなさいとあるから大変である。巡礼中万一のことがあっては大変とリュックにブラ下げていた名札は「本来無東西、何處在南北、迷故三界城、悟故十方空」これを四行に書き、裏は東京三田龍源寺禅の会○○○と記した。これは雲水さんの網代笠の裏に書く句だそうでいつかお寺の玄関にあった笠をみたらそのとおりであった。折角禅を勉強しているのだから、執着を離れて、「色即是空」逆打ちでも率直に打ちたいとおもう。昔は納札は木札を首にブラ下げて釘で山門や本堂に打ち付けて廻ったようで、これが札所参りの由来であり、今の千社札の元祖である。この札が無くならない間はへばりついてお参りしているということらしい。
これから何回か秩父巡礼があるでしょう。皆さん、弁当、数珠、納めるお経を忘れずに武甲山が見守る秩父盆地を歩きましょう。満願打ち上げパーティが楽しみです。ご朱印帳はお参りの証拠です。えんまさんは閻魔帳を持ってるが記入漏れの恐れもあり大切に、私は仏壇に納めている。秩父のお寺は素朴でいい。
「夏木立ち 巡礼の鈴 涼しげに」
終り。
◆編集便り◆
★今年の夏は特に暑いとの事で、東北 方面に行って見ました。
あちらも劣 らず暑く、日本国中どこも同じ暑さ、 逃れる事が出来ませんね。
皆さまもお身体をお大事に。 (慎)
★永年、私の気侭な飲み食いを引き受けてくれていた強靭な胃袋が、突然 謀反を起こしました。
まだまだ付き合ってもらわねばなりませんが、気 力、体力ともに少しずつ変化しているという事を、
病院のベットの中であらためて悟りました。 (善)
★六月末に二人目の孫が生まれました。 今度も男の子です。とても可愛いです。
我が家は男性が圧倒的に多く私の兄弟は男三人、家内は三男一女。私の子供は二人とも男。
「二人目の孫誕生や風薫る」 (晃)
★禅の会有志の方々と六月の尾瀬に続き七月には大菩薩嶺に登りました。
台風一過の素晴しい天気で富士山は勿論のこと南アルプスの稜線も一望出来ました。
これを期に龍源寺山岳会を作ろうとの話が出ています。
山岳会よりも山楽会の方が良いのではと思っている次第です。 (豪)