◆三門の言葉◆
じゃくねん
寂然
不動
春に花の
あるがごとし

教典に学ぶ親友の条件
友情についてお釈迦さまはどうおっしゃっているかと教典に当ってみました。
実は、教典には友情についての論評はあるのですが、友情の当事者としての告白が皆無なのです。なんと、お釈迦さまには、弟子はたくさんいたのですが、友達は一人もいなかった(かもしれない)のです!。
なるほど、考えてみれば想像がつきます。あんなに偉大で強烈な人間に遇えば、感動して弟子になるか、反発して敵対するかのどちらかでしょう。
それでは、お釈迦さまの論評を読んでみましよう。親友の条件として、『長阿含経』では「@悪事を止める。A慈しみ、愍れみの心をもつ。B利(幸福)をもたらす。C同じ立場で行動する」の四点を挙げています。
『四分律』では、七点です。「@与え難きを与え、A作し難きを作し、B忍び難きを忍び、C密事を語り合い、D互いに胸に収めて外に出さず、E苦しい時も見捨てず、F貧しくても軽んじない」と。
逆に、悪友の条件も有ります。「@飲酒の時の友。A博戯の時の友。B淫逸の時の友。C歌舞の時の友」これなんか、ドキッとしませんか?「カラオケスナックで、お酒を飲みながら大声で歌い、そのあい間あい間にちょっとエッチな話や競馬・麻雀の話をしているグループ」なんて、掃いて捨てるほどおりますからね。これは『長阿含経』に載っているのです。
別のお経では「花友、稱友、山友、地友」の四種類の友人を挙げています。
花友とは、花のような友。好調の時は頭につけるが不調の時は捨てる。金持ちにはすり寄るが貧乏な者は見向きもしない。
稱友とは、秤のような友。上司・目上には頭を下げ、目下の者は軽んずる。与える者を敬い、そうでない者をる。
山友とは、山のような友。たとえれば金山のようで、鳥獣が集まったら光を与え、他人を栄えさせて、一緒に富楽をぶ。
地友とは、大地のような友。さまざまな稔りも種々の財宝も一切ここから与えられる。たくさんの物を給付し生命を養う。それなのに顧みられることがない。しかし、それを気にしてるワケではないー。
一応は、私も地友や山友のような存在でありたいと願っているのですが、他人さまの目には、稱友や花友として映っているのかも……。(中略)
やっぱり、自分もいい友人になろうと努力しなきゃ、ねぇ。えっ?私?うーん。たまにゃ酔わない程度に明るく酒を飲み、遠慮しながらも順番きたらマイクを握り、品が落ちないように下ネタにもついていき、馬券は買わないまでもダービーや有馬記念の話しは参加できるようでありたいですね。
もちろん、友人はたくさんいますよ。念のため。
大和出版『心がラクになる処方箋』
現代禅研究会 松原哲明 監修より
龍源寺花園会「春の京都・奈良団参」
津江 慎也
四月十九日(金)から二十一日(日)の三日間開催された「春の京都・奈良団参」の内容を以下にご報告致します。
第一日目、京都妙心寺、花園会館に於いて二時半より受付が開始されました。受付が終わると早速妙心寺へと向かい、微妙殿で先祖供養の法要を行いました。次いで花園上皇の「玉鳳院禅宮」と関山慧玄禅師を祀る「開山堂」を訪れ、「法堂」で狩野探幽画く「雲龍図」「大方丈」「小方丈」「庫裡」を回りました。
妙心寺内を歩いていると私達に交わるように丁髷姿の侍達が歩き回って居ます。この中に高島政伸、坂上二郎の姿も有りました。丁度我々も江戸時代へタイムスリップしたようでした。聞くとTV「三匹が斬る!」の撮影で六月放映予定との事、この会報読まれる頃、このフイルムが放映されているでしょう?
「退蔵院」で名園を見せて戴いたあと、夕食は妙心寺門前に店を構える「あじろ」の会席料理を当寺で戴きました。
第二日目、朝食後「霊雲院」で朝のお勤めをしました。ここのご住職さまは前の連続TV小説「ほんまもん」野際陽子の師匠役でお出になったそうです。
次いで、大徳寺非公開の「聚光院」を訪れ、千利休の墓をお参りさせて戴きました。次ぎに「孤蓬庵」で小堀遠州初の手作りと言われるお庭を見せて戴きました。
自由時間に「総見院」を訪れ、信長、信忠親子の墓をお参りしました。
昼食は京都ホテル別館で元西陣の別荘だった粟田山荘で戴きました。次いで東福寺を訪れ、三百人は入るという「大禅堂」室町期に建てられた「三門」昭和九年再建の「法堂」、蓬莱山水庭園の「開山堂」を拝見しました。自由時間に雪舟寺の「芬陀院」でお庭と絵を拝見し、お薄も頂戴しました。
第三日目、バスで奈良に向かいました。
先ず薬師寺を訪れ、公開されたばかりの「大唐西域壁画殿」、玄奘三蔵を祀る「玄奘棟」、薬師三尊像安置の「金堂」、天平期の「東塔」、再建された「西塔」等非公開の塔内まで拝見しました。
団参最後は、奈良公園にある興福寺でした。日本第二の高さの「五重塔」、運慶作の弥勒菩薩像安置の「北円堂」、文殊菩薩像の「東金堂」、「国宝館」等ここも非公のところを数々拝見させて戴きました。
午後四時、近鉄奈良駅で「京都奈良春の団参」も楽しいうち無事解散しました。
この団参を企画し引率されました信樹さま、真紗子さま、またご案内戴きました関係の方々、お忙しい時本当に有難うございました。三日間ご一緒に同行された皆様方、お疲れさまでした。次回もまたお目にかかるのを楽しみにしてます。
合掌
軽井沢作務の会
岩澤 弘
恒例の日月庵、星雲苑の研修所開きは五月の四、五、六の三日間でおこなはれました。その様子は次のとおりです。
今回はたまたま稀にみる晴天で布団干しがよく出来ました。布団奉行は土屋さんが務められました。格納庫の布団も全部出し、若手の小出さん、柳原さん、黒岩さんの活躍により庭は勿論、屋根まで並べてお奉行さんの意図通りに出来ました。
針持つ女性が少なくて、大の男が毛布の襟布つけに格闘しました。指南番は粒良京子さんでした。外周りの掃除は山男の山梨さんが大活躍です。木下さん、木村さん、渡辺さんもメンバーのようでした。屋根の雪降ろし、ならぬ落ち葉降ろしもやりました。若手が屋根に登って箒で落とします。「纏を持ったいい男」ちょっとオーバーかな。
「春の陽に 無尽の煩悩 落ち葉焼く」
上藤美紀代さんはガラスを一心に磨いていました。後藤さんも洗面所を清めていました。その姿は精進か、無心か、菩薩か、これもチトオーバーかな。小出さんは婦人用風呂場を一心に磨いていました。これからこの風呂を利用する女性のかたはこの時の彼氏の姿を思い浮かべて下さい。
昼間これだけ身体を動かしても朝、夕の坐禅は身命さんの指導でミッチリ行われました。信樹さんの忍び歩き、警策のききめ、梅湯の味、人によっては小鳥の鳴き声が印象深かったようでした。私は入口に坐っていたので履物を揃えない人、禅堂に礼拝なしで手を振って入る人にはつい「それじや駄目」と強く注意しました。伊藤淳子さん申し訳ありませんでした。でも彼女は偉かった。素直に「ありがとうございます」と返答が有りました。これは我が家の中三の孫娘に手本として話してやりました。棚橋さんが来ていたのに見えないからどこにいるのかと思ったら台所で芝宮房枝さんと食器類の熱湯消毒に大奮闘中でした。
風呂焚きの私はリストラを受け、五右衛門風呂もお役ご免となりました。講堂の洗面所から階段を下りると別棟で立派な男女別の浴室が出来ました。十人位は楽に入れます。そこらの二流旅館は顔負けです。
解散式は六日八時庭で行いました。副住さん、真紗子さんのお礼の言葉と参加の皆さんからも一言づつ感ずる言葉を述べて終わりました。
夏の軽井沢、禅の会は八月九日から二泊三日、秋は十月十日頃、二泊三日で予定されています。
大勢の方の参加を期待します。
坐禅修行は行深般若波羅蜜多のようです。「廃用萎縮」という言葉もあります。
私も身体の動く範囲で参加のつもりです。

見 跡 (四十八)
弘舵郎
出羽路の旅
去る三月JR東日本の休日パスを利用して芭蕉さんのゆかりの地を尋ねてみた。
十七日早朝家を出て上野より「こまち三号」の客となり古川で駅弁買って十一時二十八分の陸羽東線に乗り換えた。ローカル線特有の雰囲気をのせて出羽路を走ります。
雪の山、だんだん近づくワンマンカー
鳴子温泉駅で下車、駅内の旅館案内所でうなぎ湯の旅館を予約してすぐ「尿前の関」に向かって歩き出す、約一時間尋ねる人もない静かな関所跡にたどり着いた。芭蕉と曽良がきびしい取調べを受けて通行を許可された場面を偲んだ。宿のうなぎ湯とは温泉で肌がぬるぬるになるのがその名の由来で、隣の公衆浴場は全く泉質が違うのも面白かった。
十八日は山刀伐峠入り口の赤倉温泉の岩風呂に入るのが念願だったので、無人駅で下車した。ところが車の便が無く途方にくれた。丁度駅に来た土地の婦人の車に便乗を頼むと気持ちよく案内してくれた。地獄で佛の有難さである。入浴料五〇〇円を払って、陽の差し込む静かな岩風呂の温泉を楽しむことが出来た。入口には「只今混浴タイム」の看板があったが期待した人は現れなかった。新庄駅に着いたのは二時九分、四時まで奥羽本線の便がなく構内そば屋の「板そばと地酒」で時間をつぶす。大石田に着いたのは日も暮れんとする四時二十分、銀山温泉に泊まりたいと宿屋を頼んだがどこもなく、止むなく大石田の「虹の館」なるところに泊まる。八畳二間にわれ独りには驚いた。大浴場は雪で真っ白の最上川を見下ろすことできる気持ちよい風呂だった。
十九日朝タクシーでバス停に駆けつけたが、銀山行きは九時五十分迄便がなく、また駅の付近をウロツクことになった。温泉まで約四十分お客は数名、バス停から温泉街に下りて行くと写真のとおり木造温泉旅館が並んでいて大正ロマンを感じ、苦労して来た甲斐があった。無人の公衆浴場に忍び込んで無断で一風呂浴びた。脱衣場はきれいではなかったが湯あたりは良かった。
帰途はバスを尾花沢の「芭蕉・清風歴史資料館」の近くで下車しゆっくり見学した。鈴木清風は「かれは富める者なれども、志卑しからず」と奥の細道にある芭蕉と交流のあった紅花商人であり俳人だった人で、江戸吉原の高尾太夫に惚れられたり、また年賦をよく見ると生涯に四人も妻と死別するなど興味をひく人物である。「岩にしみいる蝉の声」の山寺まで行きたかったが時間がなく大石田より「つばさ一四〇号」で帰途についた。
どの列車に乗るのか、宿の予約もなく当てずっぽの旅だったが、芭蕉さんの苦労を知り、人の情けを感じる事が出来た出羽路の旅だった。
◆編集便り◆
☆筍と蕗を薄味に煮たものを酒の肴に戴いております。
私の家では、庭にこごみも出ます。
春先の蕗の薹から始まり季節を感じさせる食べ物は良いですね。
何となくホットします。
「筍に鍬持つ妻の一途かな」 (晃)
☆雲取山登山の途中、三条の湯で借りたトイレは米糠を使ったバイオトイレ。
例の臭い匂いとは違う甘い匂いに迷わず料金箱に百円玉を投入、
山小屋でのバイオトイレ普及を切に願う次第です。
(豪)
☆富士山の残雪も随分小さくなりました。
雲の動きの中に、あの暑い夏の到来が間近に迫ってきたことを感じます。
(善)
☆四月にはあんなに暑かったものが、五月は一転寒い日が続きました。
六月はどの様な気候になるのでしょうか?
皆様方は、気候、温度などに負けることなく、
お変わりなく元気でお過ごしになるよう心からお祈り致します。
(慎)