◆三門の言葉◆
梅花
早春を
ひらく
道元

「一期一会」
井伊直弼
松原泰道
相送当門有修竹 為君葉々起清風(相送って門に当たれば修竹あり。君がために葉々清風起こる)、つまり、「友を門のところまで送れば、傍らの修竹の葉がさやかになって、すず風が起きる。風もまた君を送るかのように(虚堂録)」〜。友との交情の濃やかさに詩情を感じます。古人は、「君子、清純の心情」とたたえますが、この語句の中に、「一期一会」の厳しい出会いを感じます。
一期は人間の一生、一会はただの一度の出会いです。これほど「一」の粛然としたたたずまいを感じる語は、他に類例を見ません。
「客帰りての後、このとき寂寞としてうち語ろうものとては、釜一口のみにて外に物なし」と茶匠は嘆じます。しかもなお「まことに自得せば、至り難き境界(涯)なり」と一期一会を体得することの容易ならぬことを訴えるのです。
「会者定離(出会う者は必ず別れのときがある)」との仏教の心理を、禅者は、「相送って門に当たれば」と行動で示し、「君がために葉々清風起こる」と目に実感させるのです。
私は、師父(父)の祖来和尚から「会ったときが別れだぞ」とよく教えられました。会ったときが別れだから、人には親切に、すべて丁寧にあれというのです。茶人が友を送ってまた席にもどり、名残の手前をするところに、茶と禅と人生の一連のつながりを感じます。
私は、戦後間もなく山陰に旅をしたことがあります。石見大田の駅前食堂で食事をしようとすると割り箸の間から小紙片が落ちました。見ると、今でも記憶に残る「逢うてわかれて わかれて逢うて 末は野の風秋の風 一期一会のわかれかな」との小唄です。吹く風のままに秋草の穂が別れと出会いをくり返すが、それがそのつど一期一会で、同じ出会いはけっして二度とないことをしみじみ味わったことです。
井伊直弼は、「そもそも茶の交会は、一期一会といいて、たとえば幾たびおなじ主客と交会するも、今日の会に再びかえらざることを思えば、実にわれ一世一度の会なり」と自分に言い聞かせています。
禅者としては、他者との出会いだけでなく、自分が真実の自己に邂逅することの困難さと受け止めます。
しかも、それは他者との出会いと別個のものではないから「一」です。また、相送る「相」に「一如」を感じます。
松原泰道著
「禅語百選」より抜粋
「平成十四年一月五日(土)新年祈祷会」
山梨 豪之
曇り空の中、時折の小雨がやがて雪模様になりました。生垣には山茶花の花が凛として咲いています。本堂は溢れんばかりの人たち、静かな中にも新年の喜びがあふれていました。午後一時半泰道老師、哲明住職に続き副住職信樹さん、米国から帰国中の副住職覚樹さんが入場です。泰道老師が導師を務められ、信樹さんの打つ大太鼓の力強い音とともに新年のことほぎ祈祷会が始まりました。般若心経、延命十句観音経を全員で読経、その響きは空の彼方に渡って行きました。
祈祷会に続いて泰道老師による法話です。緋の法衣姿の老師様はいつにも増して若々しく輝いています。冒頭『数えで九十五歳になる今年、折り目をつけたいと志願して導師を務めました』とのお話があり「雪月花」と題した法話をいただきました。
〈法話〉『おめでたい時、よく使われる「雪月花」本は和漢朗詠集にある白楽天の詩「琴詩酒の友は皆我を抛つ。雪月花の時に最も君を憶う」にあるとされます。「琴の友、詩の友、酒の友、それぞれ親しい友もいつか別れてしまったけれど雪月花との心は変わらない。その時期になるとしみじみ雪月花を思う」今日のようにやっかいな時代だからこそ自然を愛でる心を持ちたいものです。ただ見るのではなく、四季の眺めの中から何かメッセージを受け止めて、そこから自分の生き方を磨いてゆくという生き方が大切でしょう。道元禅師の一首「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり」は、ただ自然の美を称えるだけではなく花の一生懸命咲いている姿、ほととぎすも月も雪も自分の命を尽くしている姿、禅でいう「本来の面目」を詠っています。八木重吉は「花はなぜ美しいか」と問いその答えを詩にしています。「花は なぜ美しいか ひとすじの気持ちで 咲いているからだ」人に見せようとか美しくしようなどではなく花は花だから咲いているのです。これが本来の面目というものです。では人間はどうあったらいいかこれは皆さんの宿題といたします。先の道元禅師の歌は、日本初のノーベル文学賞作家川端康成さんが「美しい日本の私」と題した記念講演の冒頭に掲げられ、広く知られるようになりました。この「雪月花」について、身近に感動を受けたことをお話したいと思います』と「雪」「月」「花」をテーマにお話しされました。
「雪」:円覚寺前管長:故朝比奈宗源老師八十歳の頃、修行時代の思い出を泰道老師に話された逸話。竹やぶの除雪作業の時、宗源老師が足を滑らせ傍らの竹にしがみつくと、はずみで雪が落ち、雪の重さでしなっていたその竹がまっすぐに立ち直った。その時の思い出を宗源老師は二十歳のような若々しさで話された。「しがみついた竹に助けられ、同時にその竹を自分が助ける事が出来た。世の中こうありたいものだ。将来自分も世の中に役立つようになりたいと願ったものだ」と。『この何気ない出来事から今なにをなすべきかを感じ取る感性、ここが大事なところでしょう』。
「月」:戦後最初の東大総長:南原繁先生が母の思い出を綴った著書「母」のお話。母に背負われての夜道、「お母さん、お月様がずっと僕たちを見ているよ」「お月様はちゃーんと私達を見てくれているね。天には見る目、聞く耳があるという言葉を思い出した。坊やありがとう」という母との会話。『理性的にではなく情的な気持ちで自然を眺めるとき、そこに「真善美」という人間の理想を観ることができるのでしょう』。
「花」:泰道老師の早稲田大学卒業時、友人との無銭旅行体験談。箱根関所跡で山桜を眺めながら偶然見つけた苔むした歌碑。指先でさぐりながら判読した歌「あれを見よ深山の桜さきにけり まごころつくせ人しらずとも」。『人が見てくれようがどうだろうが、ひたすら自分の信じる道を歩いてゆく。私はこの歌を新年のお勉強に覚えていただこうと皆様に差し上げたいと思います』。
泰道老師の真心あふれた法話に続いて、米国コーネル大学大学院に留学中の覚樹さんから留学生活のお話をいただきました。白隠禅師の「夜船閑話」翻訳という研究の傍ら日本語を教えるというお仕事を始めたそうです。ますますのご活躍をお祈り申し上げます。
この後、花岡大樹君が泰道老師から絡子を賜りました。すばらしい思い出となる事でしょう。
続いて全員でご焼香を済ませると、早速本堂に机を配置、お料理と般若湯が並べられ新春の宴席が開かれました。宴席の脇では「青春のセレクト」「よくわかる般若心経入門」の作画家木下謙介さんのサイン会、一階和室では真紗子様社中によるお茶席、花園会館では水晶会・仏像を彫る会の合同展と皆さんそれぞれの会を堪能、清々しくも和やかな龍源寺ならではの新春の一日はつつがなく過ぎてゆきました。
「水晶会・仏像を彫る会合同展 」
水晶会 山本 省吾
寒さの中にものどかな雰囲気に包まれた一月五日、第四回水晶会書初め展を迎えました。今年は第一回仏像を彫る会との合同展となり、従来とは少し違った雰囲気の開催となりました。
今回は課題でも従来と変化がありました。半切・自由作品とも各自が課題を選び、楷書なり行書で書くというものでした。課題選びは自由と云うものの、いままでは村上先生に選んで頂いて書くことが習慣になっていて、そう簡単に選べるものではありませんでした。その後、皆それぞれが課題を選び、半切四分の一に試し書きをし、先生からご指導を頂きました。
七月の合宿以来、皆随分と練習をしたことでしょう。十一月の例会時に全員でああだこうだの末に提出作品を選び、やれやれ一安心といったところでした。
年が明けて会場準備の日、作品を掛けてびっくり、良い出来です。今回は、今までの仮表装から一ランク上のものにしたのです。「馬子にも衣装」のようなものか…。作品を提出した一人が云うのもなんですが、今年は少し違ったように思います。作品を見るたびに迫ってくるものが感じられました。初めての感覚でした。仲間の皆もそう感じたのではないでしょうか。やはり、先生の順を踏んだ丁寧なご指導のお陰です。勿論、皆の努力も凄いものだと思います。来年が楽しみです。
仏像を彫る会との初めての合同展、仏像を彫る会の皆様の作品を初めて見る機会でした。どの作品も素晴らしい出来映えでした。繊細な線、大胆な線が見事でした。会場の一角に別な空間が出来たような感じがしました。
来年はまた、このような機会があるのでしょうか。次回の幹事になられる方々のお話し合いに期待しています。
最後になりましたが、お忙しい中ご来場頂いた皆様方、会場をご提供下さいました龍源寺様ありがとうございました。
見 跡 (四十六)
弘舵郎
年末、年始の行状記
人並に暮の掃除はするが現在でもハタキと箒と雑巾が主要な兵器だ。お墓は十七日に早々と終わらせた。二十九日に松を門にくくりつけて神様の降臨を願った。松は一本百五十円を二本買い、竹は庭の笹の小枝、御幣の紙は自分で切ってぶらさげた。今年は半紙がなかったのでコピー用紙で間に合わせ安く済ませた。
火の用心の夜まわりは、二十九日と三十日と参加した。町会事務所に集まって鍋料理で一杯のんで身体を暖め、九時半頃より拍子木をたたき乍ら町内を二手に分かれて約一時間まわってくる。それからのむ仲間もいるが、私は帰って寝た。
大晦日はもう十年来の慣例だが除夜の鐘のハシゴをする。百八つの煩悩をたたきだす行事である。百八つは沢山を意味する印度流の表現のようであるが四苦八苦を四×九の三十六、八×九の七十二で足すと百八になるのも面白い。初めは檀家寺、広尾五丁目の祥雲寺。ここは茶ワン酒が準備してある。場所柄外国人が多い。終わるとすぐ自宅近くの吸江寺に駆けつける。この寺は一時哲明住職が住職をつとめていたお寺で、ここの方が参列者が多く、二十分位並んで待つ。お汁粉をご馳走してくれる。ここで嫁さんと孫と一緒になって隣の氷川神社に初詣をする。神社では町会連合会が甘酒の奉仕をしている。「今年も宜しく」と関係者と新年の挨拶を交わして帰ると一時過ぎ、深々と更けた夜半に一人湯につかって今年も無事に行事がこなせたことを感謝して寝る。
元旦は、九時頃家族一同でテーブルを囲んで改めてご挨拶、一刻おいてお年玉をあげる「おじいさんから貰うのではないよ、ご先祖様のお陰だよ、仏壇にいってみなさい、自分の名前の袋があったらお鈴をならし、手を合わせてから頂きなさい」と訓して渡す。それから新聞を見て十一時頃になる。孫が家族別に分けた年賀状を持ってくる「おじいさん多いね」とか言って。三時に嫁いだ娘夫婦が孫娘二人とやってくる。もう二十四と二十二だ。自分も年をとる訳だ。
今年はどのような年になるか、「唯当に日々の行事其の報謝の正道なるべし」を念頭に過ごすのみである。明日からでも絵を描き出さないとグループ展に間に合わないと心があせったり、五日のお寺の新年会ではどんな出逢いがあるかなと思ったりしている。(一月二日記)
◆編集便り◆
☆平成十四年が明け早や一月たちました。
今年も昨年度と同じメンバーで会報の編集を担当します。
宜しくおねがいします。
「書き初めや我が心根のあらはれし」 (晃)
☆除夜の鐘を合図にスタートする「歩いて初詣」に今年も参加。
浅草浅草寺までの十六`、約五時間を百名程で歩きました。
途中茶髪の若者から「アケオメー」の声、こちらも「アケオメー」
気持ちがチョット若返りました。 (豪)
☆古傷の腰痛が再発し、暮れから悩まされています。
痛みのせいか、何事も悲観的になるのは、鍛え方が足りない為でしょうか。
遣りなおしです。 (善)
☆一月、何もせぬうち終わってしまいました。
二月三月こそ、この様な事の無い実のある生活をしたいと思います。
皆さまの応援宜しくお願いします。 (慎)