禅の会会報 第49号 (2001年12月1日)

◆三門の言葉◆
秋露
芙渠(蓮のこと)
に滴る
秋の美しさ
碧巌録

「生命とは、この命を生かし切ること」
松原哲明
今、何が一番むつかしいことでしょうか。それは、自分がいったい何者で、何をするために、この世に生を受けたかを見極めること、でありましょう。ですから、今、この生を、どうやって生きたらよいのかが本当によく判りません。おたがいに、この年齢になって、真面目にどう生きたらいいの?≠ニは、恥ずかしくて聞けません。
これらのことを明確にして生きてゆかないと、本当に何もしないで一生が終わってしまいます。それでは、ただ死ぬのを待って生きているようなものではありませんか。
そんなこと、嫌だ!と心の中で叫んだのが出家前のブッダでした。そして六年におよぶ猛烈な修行の末にブッダは悟りました。この一度の生涯で、人間は二度と手に入らない命を使い切るために生まれたのだと知ります。現代風に言いますと、一本のロウソクのように燃えつきるまで、一筋の光を放って生きよと示されました。ロウソクがロウを流すように、私たちも汗と涙を流せる、かわかない心の人間になれと。そういえば、命を使い切ると書いて、それが人間として生きてきた私たちの使命≠セということが判りました。生命とは、この命を生かし切ること。そのようにも展開して行けます。
ブッダはこの人間一人一人を大海の一針≠ナあると解きます。深い深い大海の底に眠っているたった一本の針。あなたがここに生まれることができたのは、その針を拾いあげてもらったようなものだ、という、このブッダの言葉を深く味わっていただきたい。
ブッダはまた、この人間一人一人を妙高の線≠ニ説きます。現在、生きとし生ける存在の全ては、高い高い山の頂上から一本の細い糸が垂れ下がってきて、山の麓に落ちている一本の針に通ったようなもの、と。みんな原点から今につながっているから、線という字を使った、そのおしえの深さも味わっていただきたい。そうやって熟読していくうちに、この命は親そのものの命であり、先祖が今に生かしてくれるために生かし続けてくれた、それを現在、預からせてもらっている人生―そう気づいたとき、ブッダ仏教の門が大きくあなたを迎え入れてくれます。
我々一人一人は大海の一針≠ナあり妙高の線≠ナした。私たちは、この命を使うため、生かし切るために生まれてきたことが、ようやく見えてきました。そして、そんな私たちに、人生に師を持ちなさいと続けます。現代風に言うと、人生は航海、師という船頭なしでは暴走するぞ、といましめられるのです。
私たち禅僧は、現代に禅仏教をどう説くのかを研さんするために、現代禅研究会を立ち上げました。ブッダの人間観、人生論などを今に掘り起こし大海の一針∞妙高の線≠フ使い切り方を現代に伝え、少しでも世の中のお役に立ちたいからです。
「心を読む」仏典講話集 ー人間関係を豊かにする37のヒントー
松原哲明監修 現代禅研究会編 巻頭言より
「秋の軽井沢・日月庵の集いに参加して」
山本 省吾
十月十二日夜八時半、日月庵星雲苑に到着。受付を済ませると、お椀、お箸と布巾を渡されました。初めてのことでした。朝の粥座と夜の薬石はこの自分の食器でいただき食後はお茶で洗い布巾で水気を取ってそれに包んで保管するとのことです。早速薬石の仲間に入れて頂きました。坐禅堂の側で採れた茸が沢山入ったとてもおいしいキノコ鍋に舌鼓を打ち般若湯を道ずれに楽しい会話が続きました。皆さん、大いに笑っていましたが、笑い茸は混じっていなかったようです。
翌朝は六時起床。清々しい空気の中での坐禅はここを訪れてよかったという気持ちにしてくれます。皆さんも是非一度体験して下さい。軽井沢のよさを実感していただけると思います。昨夜は暗くて分からなかったのですが、道路の落葉がきれいに片付けられていました。先着の方々が済ませてくれたのでしょう、ありがたいことです。
粥座の後は恒例の小旅行、今回は奥信濃の七味温泉と霊閑寺を訪れる旅でした。長野県にお住まいの黒岩さん(今年春の軽井沢の折にカレーをご馳走してくださった方)の先導で出発好天に恵まれ美しい紅葉の中を一路七味温泉へ。途中、紅葉の山肌を細く伝って落ちる八滝に感動し、豪快な雷滝を裏から眺めて驚いているうちに七味温泉着。
元祖七味温泉「牧泉館」の塩化物硫酸塩温泉(硫黄温泉のことです)で軽く汗を流しました。ここは七つの湯釜から温泉が湧き出しているところから付いた名前とか。
小林一茶の一茶館を訪れ次に訪問したのが、霊閑寺です。こちらは臨済宗妙心寺派の開祖無相大師ゆかりのお寺で、昭和三十四年に大師六百年を記念し設立された祖堂を拝観しました。また本堂にて奥様からお茶とお菓子の接待を受け、静かなひと時を過ごしました。泰道先生も数回訪問されている山の中腹にある、眺めの良いひっそりとしたお寺でした。
この後、「間山温泉ぽんぽこの湯」、「中山晋平記念館」、小布施町の「岩松院(福島正則、葛飾北斎ゆかりの寺)」を訪れ、この一日を目一杯楽しみました。
帰りが遅かったこともあり、俳句の投票は翌朝に変更、すぐに薬石でした(信樹さん、早見さん、お手伝い出来なくてゴメンなさい)。鉄板焼きを突っつきながら般若湯や会話を楽しんでいると、哲明先生から松茸の差し入れ。「おいしかった」、「いや食べてない」等と一気に盛り上がりました。この夜は小旅行の疲れもあってか、早々のお開きとなりました。
最後の朝も起床は六時。坐禅し、粥座を済ませて俳句の投票結果の発表がありました。今回も傑作ぞろいで、最高の得票は相澤七味さん、次が岩沢時雨さん、三番目の得票は同数で木下天楽さんはじめ五名の方々でした。得票が三位までの人には哲明先生からそれぞれ俳号が贈られました。哲明先生のウイットにとんだ命名にはみんな大笑い、ぴったりの俳号でした。頂いた方は大事にしましょう 最後はそれぞれが作務(坐禅堂の掃除、布団・食器の片付け、洗心庵の掃除など)を行い、閉会式のあと記念写真の撮影をし、名残惜しい日月庵を後にしました。
合掌
入選句は次のとおりです。
秋惜む七味の宿の湯の薫 相澤七味
秋深く時雨通りぬ坐禅堂 岩沢時雨
色競ふ紅黄みどり空の青 山本信号
風に舞う黄葉ささやく坐禅堂 後藤ささやき
紅葉の夕陽に映えて浅間山 木下天楽
信州は紅きりんごの風が吹き 泊りんご
山なみに色染め競う紅葉達 林 色留
「中国シルクロード天山山脈を越えて」
(連載その2)
津江 慎弥
八月七日(火)から十六日(木)まで九泊十日で龍源寺花園会主催による「中国シルクロード天山山脈を越えて」に参加してきましたので、ご報告致します。
この旅は、一昨年(平成十一年)八月にパキスタンより中国の塔什庫爾干(タシュクルガン)、喀什(カシュガル)に行く予定が、天山山脈の氷河の氷解過度による道路決壊で行くことが出来ず、国境のフンジュラブ峠を目前に途中断念、Uターンしましたが、果たせなかった夢の地への再挑戦として参加致しました。
参加者は哲明住職、真紗子さまご夫妻を含め十三名の皆さまでした。
第五日目、先ず、マホメットの末裔ホージャ一族の墳墓と悲しい香妃の話しを伝える「香妃墓」を訪れ、次いで西域最大のイスラム教寺院「エイティガール清新寺院」また、中央アジア最大の規模と言われる「バザール」、「職人街」に行きました。ここを見て中国ウイグル族の当地での生活・習慣等を知ることが出来ました。言葉も漢語でなくウイグル語で、顔だちも中央アジア系です。
一巡後、次の訪問地「庫車(クチャ)」へ鉄道で行く為、バスは駅へ向かうと、主要道路は軍隊の訓練の為封鎖されていました。運転手は警官に聞きわずかに残る一本の小道を教えて貰い、やっと列車発進の寸前に駅に到着しました。
十六時時十分列車は発車して、翌朝一時二十五分庫車駅に到着しました。今夜の宿「亀茲賓館」に行くとホテルは停電で真っ暗。各自手探りで、荷物から懐中電灯を探し出し、銘々の番号に散り、やっとベッドにもぐり込みました。いろいろなことが有った一日でした。
第六日目、昨夜は遅くの到着でしたが、全員揃って朝食、次いでホテル前の「亀茲古城」を哲命師自身のご案内で見学。ただ城壁の土塁が残っているのみで、回りは畑と化し、野菜類が植えられていました。午後より伎楽天画として正倉院に伝わる琵琶と同じ楽器を持つ天女が描かれている「亀茲千仏洞」、唐代の亀茲王国の石窟群「クズルガハ千仏洞」、当急を都に告げた「クズルガハ烽火台」、玄奘三蔵法師様も訪れたという「スバシ古城」等を見学しました。夜は「民族舞踊」を楽しみました。この日も夜行寝台車による列車移動です。深夜零時十分庫車駅を出発しました。
第七日目、午前中は列車の窓からいつまでも続く変化の無い砂漠地帯を見ていました。この時、空になったペットボトルが気圧の変化から潰れているのを見て、海抜以下の地帯を進行しているのを実感しました。十二時五十分「吐魯番(トルファン)」に着きました。今夜の宿「吐魯番賓館」で昼食・休憩、暑さを避け午後五時から、吐魯番市民へ水を供給している「カレーズ」と、二つの河に挟まれた巨大な黄土の断崖に残る城址遺跡「交河古城」に行きました。この地の暑さは地面からの照り返しもあり大変なものです。あまりの暑さの見学に、以後を中止としホテルに帰りました。この日の温度は摂氏五十度を越えた様です。中国西域でこその暑さ体験の一つでした。
第八日目、昨日の暑さの体験から九時、気後れしながらの出発でした。祖国統一に尽力した蘇額敏の記念施設「額敏塔」、高昌国時代の貴族の墓で現存された「アスターナ古墳」、「美しく飾られた家」の意を持つ「ベゼクリク千仏洞」を見ました。この石窟も描かれた絵の多くは海外に削り取られ、持ち出された後でした。最後に西遊記でおなじみの「火炎山」に行きました。ここはもっとも暑いと心配していた一つでしたが、到着する頃には急に雲が拡がり、このため猛暑を避けることが出来た事は幸いでした。夕刻、久しぶりに空路で「烏魯木斉」へ。夕食はこの旅行でお世話になった「新疆国際旅行社」の王社長、揚部長が加わっての楽しい食事でした。この席で前号で紹介しました「漢詩」の表彰が有りました。表彰を受けた四作は王社長も「中国人の作以上のものだ」とその出来ばえを褒められていました。
第九日目、朝食後「西安」に戻り、公開されたばかりの景帝陵墓「陽陵博物館」と周、秦、漢、唐の時代を中心にこの地方の古代歴史を今に伝える「陵西省歴史博物館」を見学しました。西安は清朝以前には首都の長安であり、展示されている遺物の数々に大国の偉大さを教えられました。
この日の夕食、「徳発長餃子店」の二十有余の餃子を全種類食べたのも楽しい思い出の一つでした。ホテルは「唐華飯店」で三蔵法師様ゆかりの「大雁塔」の隣で、来年二月、三宝会企画の「西安の旅」はここで三連泊と後で聞きましたが、日本企業経営の新しい綺麗なホテルでした。
第十日目、最後の中国滞在日です。朝食前に玄奘三蔵法師さまの偉業を讃える西安市のシンボル「大雁塔」を早起きし、個人で見学しました。朝食後三蔵法師さまが眠る「興教寺」に行き、ここで哲明師先導により、我々一行三蔵法師さまの後を慕い西域を巡って来た報告と、この旅行が三蔵法師さまのご加護のもと無事終了した事のお礼を捧げました。その後、三蔵法師さまが天竺へ向け出発された西の城門に行き、西の彼方に夢を馳せ、また、城壁を一周し、西安市内を一望しました。この後は空路で日本へ戻るのみです。無事帰国したことは皆さんご承知の通りです。これで「中国シルクロード天山を越えて」の旅も終了です。
なお、この旅でご一緒に参加された松原哲明師、他全員の方々に、楽しく旅行させて戴いたことと、この旅行を企画された遊路の賀社長、添乗員の許さん、ガイドの李さん、揚さん、宋さん、アイシアさん、エルコンさんには大変お世話になった事を、この紙面をお借りしてお礼申し上げます。
ご精読有難うございました

見 跡 (四十五)
弘舵郎
月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮べ、馬の口をとらへて老いを迎ふる者は日々旅にして、旅を栖とす古人も多く旅に死せるあり。
月日はハクタイのクワカクにしてと始まる芭蕉の「奥の細道」の発端の句である。私の好む文句で身も心も旅にかきたてる句である。高邁なことをいうなあーと感心していたらこれには下敷きがあった。そのことは後にして、芭蕉は元禄二年の秋、奥の細道の旅を終り清書は元禄七年四月とあるのでこの間原稿を推敲してたわけである。不易流行とか、かるみとか、高悟帰俗等むづかしい理念のことは数ある専門書にまかせ、ただ芭蕉さんの立った所に佇んでみたくて歩いてきた。
初めは平成五年の四月に哲明住職や南無の会の中島先生の案内で多賀城、松島、象潟、最上川、羽黒山、出雲崎、市振、山中、全昌寺、永平寺、種の浜、気比神社等とまわり、終点大垣の芭蕉記念会館に到着したのが四月二十四日とわが日記にある。旅程の穴うめをせんものとスタートの深川芭蕉庵を訪れたのが平成十年の十一月四日それから暇を見つけては、千住、草加、室の八島、日光裏見の瀧、黒羽の雲巌寺、乙字の瀧、殺生石、白河の関、須賀川、この十月飯塚(飯坂温泉)と尋ねまわり、残る鳴子、尿前、山刀伐峠、尾花沢とまわり来年春には立石寺の桜をみて終わりにしたいと願っているがどうなることやら。
さて、その下敷きをご紹介しますと『この書き出しの気合のようなものは李白の「春夜桃李園二宴スル序」の「ソレ天地ハ萬物ノ逆旅ナリ光陰ハ百代ノ過客ナリ、シカシテ浮世ハ夢ノゴトシ」を踏まえて発してるようである。(中略)「ソレ天地ハ萬物ノ逆旅ナリ」を入れておいた方が通じやすかったのではないかという気がわたしはする』とある。わたしとは富士正晴先生のことである。逆旅は旅の反対だから宿屋の意で、この天地自然は萬物の休み場所であるの意味であろうか。年も、月も日も時間は宿屋を通るパッセンジャーなのだ。泰道老師の説く「これから通る今日の道、通りなおしのできぬ道」が頭に浮かんだ。

「南会津・尾瀬の紅葉を求めて」
松本 曄
十月二十八日(日)から三十日(火)の二泊三日で、ご住職哲明様の奥様真紗子様を含め参加者八人で相澤さんと山梨さんの車に分乗して、南会津から尾瀬にかけての紅葉を求めて旅をして来ました。
第一日目は龍源寺と武蔵野線南越谷駅にそれぞれ集合し蓮田インターで合流、途中雨が降り始めましたが南会津の紅葉などを楽しんで、檜枝岐村でやや遅い昼食に土地の名物「裁ちそば」やそばがきなどの味を楽しんだあと、木賊温泉の井筒屋旅館へと向かいました。そこは相澤さんと永いお付き合いの老舗で、川沿いの露天風呂はなかなか風流なものでした。夕食は岩魚の刺身などこの土地ならでは味わえない味覚で全員大満足でした。
第二日目も朝から霧雨が降り続いていましたが、朝八時過ぎに宿を出発して沼山峠休憩所で車を下り峠を越えて尾瀬沼へ到着しました。尾瀬は既に冬に入っていて行き交う人も殆どなく閑散としていました。井筒屋で用意してくれた岩魚の煮付けの入ったお握りで昼食を長蔵小屋で取り、尾瀬沼湖畔を沼尻まで散策した後、小屋の消灯が九時というので早めに入浴をすませました。小屋では石鹸やシャンプーなどは一切使用不可、自然を大切にするということの努力がいかに大変かを感じました。
第三日目は朝から快晴、早朝は非常に冷え込み宿の周辺は霜でバリバリに凍っていましたが、その澄んだ空気の中で燧岳が朝日に浮かび上がっていました。七時半頃宿を出発し、途中霜で歩道の板が凍っていて数人が足を滑らす光景も見られました。途中の紅葉に感動しながら奥只見湖へと向かい、湖畔の蕎麦屋の手打ちそばで昼食を取りました。奥只見は既に初冬を迎えていて湖の水面近くにだけ紅葉を残していました。その一味違った風景の奥只見を後にして、関越道小出ICから家路につきました。

◆編集便り◆
☆先新世紀に入り最初のカレンダーも残り十二月一枚のみとなりました。
日々の予定欄は「忘年会」の三字で埋まって行きます。
酒は「良薬」よりも楽しい酒、「楽薬」ですね。
皆さま、「楽薬」を沢山飲み、新世紀二年目を迎えましょう。 (慎)
☆十月の十四日に新潟から直江津・長野と一人旅をしながら「日月庵」秋の作務に参加しました。
一年のけじめがついた気がしました。
「爽やかに朝日の入りて坐禅堂」 (晃)
☆季節はずれの尾瀬沼へ親しい仲間と行ってきました。
前日は雨の中の厳しい登行でしたが、夜冷え込んだのでしょうか、
早朝、小屋の周りは一面霧氷に覆われキラキラ輝く枯野とコバルト色の空にそそり立つ燧ヶ岳が印象的でした。
小屋は五日後閉められるとのことでした。 (善)
☆海外ではテロ事件、国内は狂牛病と“人災”に揺れた一年もあと僅かとなった今、
“新宮様ご誕生”の時が刻々と近づいています。久しぶりに明るいニュース。
是非新年に繋げたいものです。 (豪)
