◆三門の言葉◆
萬里
雲なく
弧月
まどか
園なり

「至誠が有れば通じる。志があればなにごともなる」
法顕伝より
松原哲明
西暦三九九年に、法顕さまは中国から経典を求めてはるかインドに向かって旅立っていきました。そのとき、法顕さまは六十歳であったことにとても驚くと同時に、人間とはなんぞやということを強く示唆しているような気がしてならないのです。
最初は、四人で出発します。六十歳という年ですから一刻も急いで目的地に達するべきだと思うのに、毎年四月十六日になると外出することをやめ、七月十五日まで一か所にとどまってそれを続けた法顕さまの人間性にも驚きを隠せません。
なぜ一か所にとどまって外出しなかったのか。この時期は、虫たちが卵からかえり、草花の芽も地上に顔を出す。彼らの命を踏み殺さないために、一か所に閉じこもって坐禅したのでした。ただ坐禅したというと座っているだけのように考えがちですが、さにあらず、昔は意思とか気を養うのに、坐禅の腹式呼吸で気海丹田を鍛練するのが一番だからでした。そうして気を養い、意思を継続したものでした。
毎年四月十六日から七月十五日まで坐禅して外出しないのを「夏坐」とか「雨安吾」などといいますが、一刻でも早くインドに行きたいだろうけれど、それよりもまず僧として守らなければならない規律を守る。僧はどうあるべきなのか、堅固な意思があったのだろうし、気構えが違っているのです。それを誠実というのでしょう。
規律を守らないということに、僧として恥じらいがあります。根本の規律を貫く、謙虚さが下敷きにある。そうでないと、インドに経典を取りにいくための神仏の加護が得られないことを知っていたのでしょう。
出発したときは四人だけでした。そののちに人数が増えますが、途中でとどまるものやUターンするものが出てきました。結局インドに達したのは、法顕さまともう一人でした。
インドに入ってから、法顕さまは一人旅。スリランカに渡り、四一四年に無事母国に帰還したのです。出発してから十六年の月日が経過していました。
十六年の長旅で、法顕さまは七十六歳になっていました。こんな高齢で無事帰国出来たのはなぜか。人々は尋ねます。法顕さまは「恐らく固い意思で自分の愚直を押し通したから」としています。
これに対し、人々は「至誠があれば通じる。志があればなにごともなる」ことを学んだと『法顕伝』で結んでいます。
松原哲明著
「かわかない心の旅」より
注:『法顕伝』 平凡社 東洋文庫 長沢和俊訳註 「法顕伝 法顕‖著 宋雲行紀 楊衒之‖著」が現在入手できます。
「中国シルクロード天山山脈を越えて」
(連載その1)
津江 慎弥
八月七日(火)から十六日(木)まで九泊十日で龍源寺花園会主催による「中国シルクロード天山山脈を越えて」に参加してきましたので、ご報告致します。
この旅は、一昨年(平成十一年)八月にパキスタンより中国の塔什庫爾干(タシュクルガン)、喀什(カシュガル)に行く予定が、天山山脈の氷河の氷解過度による道路決壊で行くことが出来ず、国境のフンジュラブ峠を目前に途中断念、Uターンしましたが、果たせなかった夢の地への再挑戦として参加致しました。
参加者は哲明住職、真紗子さまご夫妻を含め十三名の皆さまでした。
第一日目(八月七日)、成田国際空港より中国西安国際空港まで飛び、ここで国内便を乗り継ぎ夕刻敦煌(トンコウ)に到着、中国で始めての夜をバザール等で楽しみました。
第二日目(八月八日)、敦煌で午前中、莫高窟組と玉関門組みの二手に別れ行動、午後からは全員一緒で鳴沙山、月牙泉観光、壮大な文化遺産と広大な砂山を見学、夕刻に烏魯木斉( ウルムチ)移動、機中より見た雄大な天山山脈に圧倒されました。
第三日目(八月九日)、天山山脈の中腹、標高二千mの神秘的湖「天池」へ、帰りは、烏魯木斉市内散策で紅山、新疆博物館等に行き、三千年以上前のミイラ「楼蘭の美女」にも対面、 夕食後はまた国内線に乗り喀什(カシュガル)へ移動しました。
第四日目(八月十日)、カラクリ湖へ、喀什より往路に五時間、一昨年道路決壊、通れなかった道への再挑戦、未だ仮の道路で未舗装のガタガタ道、海抜四千m以上の所ですから富士山より高いところに全員非常用酸素バックを抱き抱えながらの決死のドライブでした。
・・・・・以下次号へ

漢詩「シルク‐ロード紀行」
※旅行中、漢詩の勉強。自作です。指導 許銀潔・李暁麗・哲明
遊山(斉藤健 作)
白嶺青湖景
峨峨而迫吾
一日遊山境
唯惟天界広
鳴砂山(高橋八重子 作)
胡人駝鈴声
一声砂山沈
山上疎影短
烈日頭上高
遊西域(安野 昇 作)
昔読遊牧民故事
今見草原湖畔情
西方白雲一片月
只使旅人自然心
玉門関(高橋仁滋 作)
天空笑紺碧
大地怒灼熱
草木鳥不見
唯見蜃気楼
行吾一筋道
現忽然玉門
長城連点々
想古葦束跡

「水晶会合宿記」
木村 隆昌
秋の気配を感じさせた伊東の夜空に、行く夏を惜しむかのように彗星が流れました。次の日8月25日土曜日の朝は快晴でした。今年も恒例の書道の合宿の始まりです。昼頃までに参加メンバー全員伊豆の清風庵に会の名の如く水晶のような清々しい顔をそろえました。
早速、着替えです。密やかに着替える人、居間のど真中で堂々と着替える人、いっときの賑わいで準備は整いました。
川島会長の挨拶のあと、全員で般若心経を唱え、気持ちがビシッとなった所で、早速練習開始です。
今回は、全員が自分自身で好きな作品選び、それを書き上げます。それだけに気持ちが入っています。いきなり真剣モードに突入です。汗止めの鉢巻をして休憩時間も忘れ、書に没頭する者、そして厳しい眼で添削する先生の姿はやはり、合宿ならではの感があります。それにしても、会員一人一人の異なるお手本を用意し、さらに其々に添削をする先生は、いつもより大変だったことでしょう。
夕刻になりますと、そろそろ喉を潤したくなる頃です。宴会場は今日の宿舎、民宿「市川」に移動です。ひとっ風呂浴びて、さあ〜待望の泡般若です。恒例の飲み、かつ食べながらの「一言感想」が始まりました。笑い有り、感動あり、提言あり,苦言ありの感想には、みんなが書という同じ土俵に上がっている事を改めて感じさせました。
宴会後は今回の新たな試みとして、村上先生に書にまつわるお話をして頂きました。真摯に書に取り組む先生の姿勢があらためて浮き彫りに成った時でした。
翌日は、さらにみっちり時間をかけ自由課題の練習に取り組みました。昼は、全員の練習の成果を壁一面に貼り出し互いに批評をしあいながらの食事(バーベキュー)です。みな、2日間をやり遂げた充実感に浸りました。
清風庵の居間のご仏像の上の掛時計が3回鳴る頃迄には、いつも気持ち良く私達を迎えて下さる小松さんのご両親に感謝しつつ三々五々、帰途に付きました。

見 跡 (四十四)
弘舵郎
説法と落語
軒下の殿鐘が鳴って近辺に法要の始まりを告げ、太鼓が叩かれて大衆や控室の坊さんに準備完了が告げられる。やがて引きんをならす坊さんに先導されて導師が入堂され高座につく。この雰囲気と、噺家が下座のお囃しにつられてさゝーと高座に座り、第一声を発する緊張と期待の場面は私の好むところです。
説法と落語はどこか接点があるのではないかと気にかけて二、三漁ってみるとやはりあった。明記出来るのは「沙石集」「雑談集」は落語のネタ本と言われているが作者は尾張国の長母寺の住職一円無住とある。禅僧が八宗兼学的視野で書いた説教台本である。また上方落語の開祖と呼んでいる露の五郎兵衛は日蓮宗の教悔師出身で露休と号し「露休置土産」他噺集を沢山残している。
ところで禅問答を謎とき式に自己流に解釈してみる。「闇の夜の鳴かぬ鳥の声聞けば生まれぬ先の父ぞ恋しき」は、「母の胎内」ととく、その心はどーもビックバン如く人間暗闇の中で四大が掛りあって(仮和合して)生まれてくる、分別、煩悩を身につけず無一物である。「仏道とは如何」「麻三斤」むずかしいことではないホラと手許にある麻を握ってみせる。どこにでもある、それで分かった顔をする。「ダルマは西から何をしに来た」「庭先の柏の樹だ」目の前で繁っているではないか、「分かりました」。分からないことが分からないと分かるのが、悟りだそうである。
ではここで落語もどきのお粗末を。
とある居酒屋のカウンターで、「そんなに飲んだり、食べたりすると身体に障るよ」「アラホント早く触って、お酒はいいわネ理性をなくしてくれるから」これだからお釈迦さんは不飲酒戒、不詁酒戒を以て戒めた。
「鍋わいて煙かんばし四文店」の句のある一茶は言う「あまつさえ仏の戒しむ酒をのむ」と、また彼は精力旺盛でありまして、おすすめの強精剤は、一に岡うなぎ(まむし)、二にとちば人参、三がいんよう角(いかり草)とあります。これとは逆に五蘊盛苦でお困りの方は慈姑がよろしいようで、字の如く娘の旦那のご発展をセーブするため、やさしい姑が婿に食べさしたのが「クワイ」だそうです。ご参考に。
◆編集便り◆
☆先日、お酒の飲み過ぎで思わぬ怪我をしていまいました。
いつまでも若いつもりで飲むのはいけません。大いに反省している処です。
「半袖の腕をさするや雁渡し」 (晃)
☆「小さな庭の片隅に植えた矢羽根すすきが花穂をつけました。
秋の訪れが急に身近に感じられる思いです。
軽井沢(日月庵)合宿が楽しみです。 (善)
☆三十八年間勤めた会社を退職しました。
送別会が三日続き最終日は終電車に乗れず、?年ぶりのタクシー帰宅。
翌朝は爽やかな晴天、新聞は長島監督勇退を報じていました。(豪)
☆未だ未だ暑い日が続いていますが、先日、奥日光戦場ヶ原から金精峠に行ってみると、
早くも木々は紅葉し特に「ななかまど」は真っ赤に映えていました。
季節は確実に進行しているのですね。もうじき寒くなるのでしょうか。
皆さまお身体には充分ご慈愛下さい。 (慎)