◆三門の言葉◆
天は
白雲とともに暁け
水は
明日に和して
流るる

健康・スポーツ
(禅の立場から)
松原信樹
スポーツには、能動的なものと受動的なものとがあって、両方とも日本ではさかんであります。
ここでの能動的なものとは、スポーツを実際に行為として経験することであり、受動的なものとは、スポーツを視覚や聴覚にて楽しむことであります。どちらも、健康でなければ楽しむことはできません。今回ここでは能動的なもの、つまりスポーツを実際に行為として経験することについてお話したいとおもいます。
野球を例にあげますと、野手は取ったボールを塁に投げないとアウトが取れません。ですから野手は打者が打ったボールを相手に取りやすいように投げます。そこに、ボールを受け取る人に対しての気配りができます。簡単にいうならば「気遣い」です。仏教的にいいますと「慈悲」とでもいいましょうか。野球は九人で行われます。
それぞれがそれぞれの役割の中でゲームが展開されていきます。その中でもピッチャーとキャッチャーとの関係は最たるもので、ピッチャーはキャッチャーを信用して構えたミットにボールを投げていきます。そこには、見えない会話がたくさんあります。もちろん、サイン等はありますが、そのサインの内容をキャッチャーがピッチャーに出す判断はやはり二人の間の以心伝心によるものです。
以心伝心とは国語的な解釈をすると「ことばを使わなくても心がよく通じあうこと」ですが、禅的に言えば、「ことばや文章によらず心から心へ伝える。ことばであらわしにくい仏法の奥義は、心で悟るほかはない」ということでございます。このことは、ピッチャーとキャッチャーとの間だけではなく九人全員にいえることです。つまり、九人全員が一丸とならないと野球は成立しません。
一つのボールの行方を九人が一丸となって追い、連鎖的な動作をチームのメンバー達が心から心へ伝えるという行為が野球を成立させる一つの要因であり、そこに勝負という相手との駆け引きが入り、野球をよりたのしくさせるのです。いいかえれば、ことばや文章によらず、心から心へ伝えるものを如何に読みとってやろうか又はそれを守ろうかという商量のことであります。これは勝敗に関わるスポーツ全般に対していえることです。
このような感じでの商量を我々は禅宗の公案で重ねて参ります。言語による表現は人を悟りに導く方法であり、それは表現できる限界まで、人を導くことができますが、その先は坐禅を通じて自分で体得し、それ以上は以心伝心しかないとされます。このような悟りの性格を臨済宗では「教えの外に別に伝えられ、文字をたてない」(不立文字 教外別伝)といいます。言葉で表現できる限界まで考慮し、その先は坐禅を通じて自分で体得するところに、禅宗の醍醐味があるようです。みなさんは日常が大変お忙しく、坐禅をする時間などない方がたくさんいらっしゃると思います。ですから、ご自身で坐禅にかわるものを生活の中で探して頂きたいと思います。没頭できるものなら何でも結構です。
テニス・ゴルフ・サーフィン・ヨット等、何か自分の時間をつくっていただき、その中で言葉をこえるもの、または、言葉以前に帰するものに近づいていただければ、物事の本質が見極められると思います。
スポーツには、すばらしいところがたくさんあります。人との出会い、健康促進、気分転換等。スポーツにより健全な肉体を作り、健全な思慮のもとみなさんの街でみなさんが、健全な街を作っていただきたいと私自身思っております。
第二回
北海道三十三観音巡礼の旅
木下 晃
六月二十八日から七月一日まで三泊四日で龍源寺主催による第二回目の北海道三十三観音巡礼の旅が行われました。昨年の第一回の旅に引き続くもので、今回は十一番から二十一番までの十一ヶ寺です。参加人数は信樹様を先達に松原静子様、真紗子様以下二十七名でした。
第一日目は、札幌新国際空港から岩見沢に向かい龍源寺様のお知り合いの明心寺に立ち寄り昼食をご馳走になりました。昼から十一番弘清寺、十二番遍昭寺、十三番真言寺、十四番丸山寺とお参りし、その晩は天人峡温泉泊まり、夕食は全員一緒にいただきました。
二日目、天人峡を出るときは雨に降られましたが、大雪山旭岳ロープウエイで山腹に着いたときには良く晴れていました。残雪の姿見の池はまだ氷に閉ざされていました。十五番の春宮寺で昼食、十六番金峰寺、十七番弘照寺とまわりました。途中、美瑛の丘、ラベンダーの咲く花園を訪れ、富良野泊まり。
三日目は、十八番富良野寺をお参りし、映画「鉄道員(ぽっぽや)」の舞台となった幌舞駅(JR根室本線幾寅駅)で一休み、快晴の狩勝峠の絶景を見て十九番松光寺、二十番密厳寺をお参りして釧路泊まり。夜は中華料理でお別れの晩餐会でした。
最終日は、雨でしたが行動に余り制約はありませんでした。今回最後の二十一番西端寺をお参りして、フィッシャーマンズワーフでお土産を買い、昼食後、釧路空港に向かい帰途につきました。
北海道は仏教の歴史も浅く、明治の中頃から説教所と言う形で布教が始まったようで、ご苦労は大変だったようです。今回訪問した岩見沢の明心寺では九十九才の開山がまだお元気にしておられたのには驚きました。
今回の旅では、陽気で物知りのバスガイドさん、温厚なバスの運転手さん、特別参加で添乗員の役目をして下さった東急観光を退社し独立準備中の桑山さん、大変お世話になりました。有り難うございました。
第二回目の巡礼の旅は無事終わりましたが、第三回目の二十二番から三十三番は根室から稚内、室蘭と距離も離れており範囲も広いので、計画される方は大変でしょうが、是非参加したいので、素晴らしい巡礼の旅の案を作っていただくよう期待しております。

「青春のセレクト」
ができるまで
木下 晃
松原哲明原案、木下謙介作画「青春のセレクト」ー現代雛僧要訓ーが臨済宗妙心寺派総務本所から発行されました。四月九日付けのデイリースポーツのデイリー特報で「漫画で住職の後継者づくりーお寺の悩みこれで解消ー」、妙心寺派では、全国三千四百の末寺に配ることにしているが、他の宗派や一般からも「譲ってほしい」との話があり、妙心寺派では、増刷も検討中と大きく取り上げられ、このことがテレビ朝日の「やじうまワイド」で放送されました。
そこで、哲明先生と木下謙介のめぐり会い、どのようにして「青春のセレクト」が完成にこぎ着けたのかの一端を、ご紹介いたします。
昨年の二月二十日、六本木「時代屋」で三宝会を中心とした関係者の還暦祝いの席で、哲明先生の漫画の構想のお話が出ました。たまたま私が常々「息子が漫画家を志しているのだが、なかなか世に出るのは難しい」と三宝会の仲間に話していたのを、相澤さんが覚えていて、哲明先生にお話して下され、先生も「では、一回会って見ましょうか」ということになりました。そこで、息子に携帯電話で連絡することになったのですが、みんな相当に酔いが回っていたので、意志が伝わらず、息子の方では全く要領を得なかったようです。
翌日改めて相澤さんから家に連絡があり、「例の話を息子さんに話したか」と云われましたが、よく覚えて居らず厳しく叱られました。友達はありがたいものです。
早速、息子をつれて龍源寺をお訪ねし先生に紹介しました。、原稿をいただき、その翌日、家内と三人で、アメリカにいる長男一家を訪ねることになっていたので、機内で原稿を読んでいたようです。帰国後三月三日に先生に連絡し、お仕事をいただくことになりました。あとは、先生と出版社の方と打ち合わせをしながら、いただいた写真や資料を参考に仕事を進めたようです。
出稿の最後の一、二ヶ月くらいは、昼夜となく書いていました。それも、一人で描くのではなく、学生時代の漫画の仲間二三人が、週末に来て泊まりがけで、ほとんど無給で手伝ってくれたようです。ありがたいことですね。
こうして「青春のセレクト」は、完成しましたが、私が三宝会の仲間でなかったら、龍源寺の坐禅に参加していなかったら、哲明先生とお会いしていなかったら、謙介が私の息子でなかったら、と思うとこれが縁なのでしょうか。
謙介は、先生からかわいがっていただき、次のお仕事もいただきました。三宝会の大林さんからも仕事のお話がありました。また、皆様から処女出版祝賀パーティーまで開いていただき、感激しております。まだ山のものとも、海のものとも分かりませんが、これからも応援を宜しくお願いいたします。
後日談ですが、私と家内は、謙介からお礼にと近所の焼肉屋で、ごちそうになりました。彼が社会人になってはじめてのことです。水戸の漫画仲間とも一杯やったようです。
また、出版でお世話になりました創美社の神さん、本当に有り難うございました。合掌。

見 跡 (四十三)
弘舵郎
(前号からつづく)
「いいか、福井! 医師というものは一日でも永く生きて、一人でも多くの患者のために働くものだ。努力するものだ。できるだけ永く世のために尽くす大切な職業なのだ。どうせ永くはないとは何だ。そんな者に尊い医学を教えて何になるのだ。無駄なことだ。どうせ若死するのだと考えている者に教えるような医学はない。さっさと長崎に帰ったほうがよいのだ。科学的な証明もないのに、どうせ永くないとは何だ。そういう考えの人間は医師となる資格はない」 それは、一言一句ぐいぐいと私の心の中に食い込んでくる言葉でした。私はその迫力に圧倒されて気を失いそうになりました…………。
私もよく「どーせやることは一通りやったし、もう死んでもいいや」なんて口にすることがあるので強い戒めと受け止めました。 爆心地から四キロの宇品で被爆し、いくつもの幸運に恵まれ生き長らえてきました。その恐ろしい体験を簡単に話せば、サンサンと輝く太陽がなんの予告もなく降りてきて突然爆発し、強烈な熱線がはしり、一息ついて鉄棒でなぐられるような爆風がきました。空にはキノコ雲、火災の発生、表通りは火傷でミズブクレの裸の人間の無言の行進でした。戦争は原爆は悲惨です。仏法で言う「智慧がなかったなー」と日支事変からの戦争の発生を考えさせられるこの頃です。
生き続けて戦争の無意味を伝えねばと考えています。五六年目の八月六日を迎えます。
◆編集便り◆
☆信樹副住職より禅の立場から「健康・スポーツ」の掲載をいただきました。
夏の甲子園観戦に置き換えてみますと、高校球児の日頃の練習で鍛えぬかれた勝敗への拘りを、
見方を変えて楽しめるように思いました。 (善)
☆梅雨はいつの間にか明けてしまいました。空梅雨で畑は真っ白で、これから野菜が値上がりしそうです。
暑い日が続きます、水分の補給に気をつけて乗り切りましょう。
「雨上がり窓より栗の花匂ふ」 (晃)
☆比較的涼しいと言われる上高地へ行ってきました。あちらも猛暑で違いを感じられませんでした。
「逃げ出す事より、身が慣れろ」ですね。
皆さまのご健康をお祈りします。(慎)
☆偶然立ち寄った横浜三渓園でその歴史を知りました。
この広大な庭園が明治の実業家原三渓(本名富太郎)の私邸で、
その住宅(鶴翔閣)には多くの文化人が集い、横山大観、前田青邨等近代日本画家がここから育ち、
平山郁夫画伯も通ったのだそうです。
暑い夏の一時、一服の清涼剤でした。 (豪)