◆三門の言葉◆
白雲
片々
嶺上に飛ぶ

生を明らめ死を明らむるは
仏家一大事の因縁なり 道元
松原哲明
仏家、つまり仏教者のつとめは、まず、今、どうしてここに生きているのかを、実感として捉えることにありましょう。言い換えれば、自分の命が、いかに多くの因縁の積み重ねのうえに生じたものであるか、ということを如実に知らしめることにあります。
次に仏教者のつとめは、この、もしかしたら生まれることのなかったかもしれぬ生命が、たった一度だけ生まれることができたということを正しく認識したうえで、ではその一生をどう生きるかということを明確にすることにあると思います。
「生を明らめ死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり」は、道元禅師の「修証義」の冒頭を飾る言葉で、「生を明らめる」ということは、今なぜここにいるかということを明らかにすることであり、「死を明らむる」ということは、死が来るまで、私たちは、いったい何をなすべきかを明確にすることです。
今ここに生きるということは、無数の先祖から流れる悠久の生命の全支流が集まり、一本の本流の先頭を生きる生命であり、過去無数の先祖の生命が、この一個の生命に流れ込み、集まり、凝縮しているという事実に気がつきなさい、と仏教者は説くのです。
たとえば弘法大師空海が「秘蔵宝鑰」巻上で、「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し」と述べていることの意味が、真実にお分かりでありましょうか。
今ここに生きている私は、一個の卵子に約一億とも三億ともいわれる精子の中の、これもたった一個の精子が、卵子と結合して私の誕生となったのです。つまり、今ここに生きるということは、私は、たとえば一億分の一の確率で生まれたことになります。一億の代表ということになります。今の私の生命は、本当は生まれることのできなかった生命であるということになりませんか。
そこを分かってほしいのです。あっ、そうなのか。自分は本当は生まれることができなかった生命だったのだということを。 周囲をよく見れば、みんな一個の生命。そして草花は、時が来れば、自分で芽を出し、花を咲かせ実を結び、年齢を刻みます。そこには何の躊躇もなく、後戻りすることも、立ち止まることもありません。つねに前向きではありませんか。
そう。人間もそう生きる。これが、第二の問題です。二度とない人生、たった一度の人生をどう生きたらよいかという答えです。仏教者のなすべき仕事を二つ書きました。それを教典から抜き出しますと「人身受け難し今すでに受く、仏法聞き難し今すでに聞く。この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん」
となりますが、これがお分かりになれば、人生開眼といえるのです。さていかがでしょうか。
「行雲流水の心」松原哲明著より抜粋しました。
春の軽井沢に参加して
宇南
五月の龍源寺三門の言葉「白雲 片々嶺上に飛ぶ」これを見た時「ああ、これは軽井沢で感じたことだな」と思った。
毎年ゴールデンウィークに行われてきた「日月庵・星雲苑の山開き」は、交通大混雑を避け四月二十日から二十二日の日程で行われた。
初日はおだやかな晴天。残雪を抱いた浅間の頂から白い噴煙が信濃の方に流れていた。浅間嶺の上の高い高い青空の、さらにその先は宇宙の果て、無限の彼方まで続いている。「自分も死んだら無限の彼方に去って行くのかな…」なんてことを考えながら、林間の道をバスにゆられ、四十分で北軽井沢に到着。この辺りの春は遅くて、ふきのとうが顔をのぞかせたばかり。うぐいすも「ケキョケキョ」と鳴き方がまだじょうずでない。
日月庵に着いたが誰も出てこない。「おやっ?」と思ったら、上の方でコトコトと物音がした。真紗子さん、泊さん国武さんの三人が二階ですでに作務を始められていたのだ。私も坐禅堂の作務を始める。入り口の戸を開け、中に入ると何か枯れ葉の様な物を足の底に感じた。何で枯れ葉が?と思いながら雨戸を開けると、何と踏んだのは枯れ葉では無く、夥しい数の蜂の死骸。二年前の秋の軽井沢で、私の足を刺した蜂と同じ種類だ。「無常か…」なんて柄にもない事を思ったが、「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ」と念仏を唱えながら、死骸を表に掃き出した。
日月庵の床を雑巾掛けしていると、急に便意を催してきた。雪隠に飛び込んだがあわてていたので命中定まらず「あーア、せっかく洗った便器を汚してしまった」。汚い話で申し訳ないが、ここに来ると便通が良くなる。食べた量より多いのではないかと思うくらい沢山出る時がある。便秘気味の人には、軽井沢での作務をおすすめしたい。
汚い話の後に、食べる話でますます恐縮だが、作務の後の晩ごはんがここでは楽しみのひとつ。少人数なのでとても和やかな夕食となり、手作りの美味しい料理を沢山いただく。信樹さんと川島さんも結構飲まれて、般若湯が一本空になっていた。
夜更けに表に立つと、ひんやりとした空気の中に湿っぽさを感じる。「天気が崩れるかもしれないな」と思いながら床につく。
二日目はくもり。
朝、相澤さん、木下さんがマイカーで到着。「寒い寒い」と言いながら焚き火のところに寄ってきた。
軽井沢駅の辺りでは雨が降っていたとのことで、予定していた布団干しを中止し、屋内で布団のシーツ掛けや、食器の湯通し等の作務を行う。中年の男達が、布団と戯れるが如く奮闘している姿が「とても可愛かった」とは泊さんの弁だが、この年齢になると理性(?)が邪魔をして、その言葉を素直に受け取れない。
昼食はインド人シェフが作った本格的なカレーをご馳走になる。長野市の善光寺門前でインドカレーの店「ナム・ナーム」を経営されている黒岩さんが、日月庵までわざわざ持ってきてくれたカレーだ。日本のものとは、味も香りも異なる本場のカレーに感激した。黒岩さん美味しいカレーを本当にありがとうございました。
作務が終わり中軽井沢の星野温泉で汗を流して帰ってくると、哲明先生が到着されていた。やがて楽しくにぎやかな晩御飯が始まる。信樹さんが九重親方(元横綱千代の富士)から教わったという「だし」の効いた鍋料理に舌鼓を打つ。ポン酢を少し加えると風味が一層増しておいしい。何杯もおかわりした。
深夜、自分の寝床が分からず、まっ暗い部屋の中をうろつき回った人は誰なんだろう?その人の手が顔に当たった時は、頬に傷がついたのでは無いかと思うほど痛かった。
三日目は、哲明先生、真紗子さんをはじめ参加者の皆さんは、野反湖方面の温泉に向かわれた。信濃路は春の花が満開で、きっと美しいだろうな…。
軽井沢駅まで送っていただく途中、信樹さんが草木堂の話をして下さった。広大な屋敷で、以前はそこでも研修が行われていたとのこと、芽吹いたばかりの木々がさわやかな風にそよいでいた。
帰りの新幹線の車中で、本を読んでいると「老子」の言葉が目に止まった。『世俗の人びとはきらきらと輝いているが、わたしだけはひとりぼんやりと暗い。世俗の人びとは利口ではっきりしているが、わたしだけはひとりもやもやしている。(中略)多くの人はだれもがそれぞれ何かの役にたつのに、わたしだけはひとり融通のきかない能なしだ………。』
これは聖人の言葉だけれど、昔の中国に、私とよく似た性格の人がいたと思うだけで心が安まる。
のろまだけれど、秋の軽井沢にも参加しよう。そして時の流れるままに、素直な心で自由に作務をさせていただこう。

見 跡 (四十ニ)
弘舵郎
福井順先生のこと、私は先生とは面識はありません。先生は長崎医大附属医学専門部二年生の時十九歳で被爆し、瀕死の重傷から、幾多の幸運に恵まれ現在長崎記念病院の理事長をされている方です。八月六日と九日は地球上で初めて日本が原子爆弾の攻撃を受け悲惨な体験をした日です。過日長崎の被爆者の神谷チトさんより先生の手記を読ませて頂き、強く感銘を受けましたのでご紹介させて頂きます。ご自分が医学生ですから病状を克明に記載されているので説得力があります。原文により書きますと「仰臥している足の方から斜め上方の宙空に丁度部屋の鴨居の方向に身体がスーと浮いて引き込まれる気が何度もしました。死ぬのだな、と観念した。(略)
その時です。「順さん!、シッカリするのよ、順さん!」母の手が私の手をしっかりと握り締めた感覚、それは生と死の間に残っている唯一の私の触覚でした。
意識を失い、意識が戻るたびに母は傍らにいました。三晩、母は一睡もしなかったということです。
「死なせてなるものか、あの世に行かしてなるものか、この順の手だけは離すものか、としっかり握っていたのよ」と後日母は述懐して下さいました。
この原爆第三期症状と呼ばれる死の約束から私が逃れることができたのは、まさしくこの母の限りない愛の力によるものでした。
先生は後に東京大学医学専門部の学生となり三宅仁病理学教授から厳しいお叱りと躾の鞭を受けることになります。原文によりますと。
骨髄穿刺については、相当な痛みを伴うものだと聞いていたのですが、当時の私にとっては望外の有り難いご提案であったことはいうまでもありません。
すっかり有頂天になり調子に乗ってしまった私は、「ええ、先生結構です。是非お願いいたします」と答え、そしてさらに「どうせ永くない身体ですから……」といってしまったのでした。(略)
「どうせあまり永いことはないのだろう」と漠然と考え、多少ヤケ気味なところもあったようです。今にして思うと二十三才の若さでした。つい悲愴ぶって格好をつけ、慎みのない言葉を口にしてしまったのでした。
その時でした。穏和な教授のお顔が突然に厳しいものとなり、その鋭い眼光が私に注がれているのに気付きました。
「なに!何ということを君はいうのだ。もう一度今の言葉をいってみなさい。そんな考えを持っているものは、ここに必要ない。さっさと退学届けを書いて郷里の長崎で死んだらどうだ!」
漢詩のコラム
五台山に円仁さんの足跡をお訪ねした際に詠まれた漢詩の上位入選作品を紹介いたします。
題は五台山。監修は哲明先生です。
山本省吾
今巡五台山 今巡る五台山
旅程共二天 旅程共に二天
黄土荒野走 黄土荒野を走る
深思円仁縁 深く思う円仁の縁
川島房男
瑞光五台映 瑞光五台に映え
祥雲五頂浮 祥雲五頂に浮かぶ
古来巡礼道 古来巡礼の道
仏日永久照 仏日永久に照らす
林 信江
春浅竹林寺 春浅い竹林寺
悠久時流知 悠久の時の流れを知る
円仁結虹橋 円仁が結ぶ虹の橋
感動秘帰国 感動を秘めて国へ帰る
縣 久恵
遠至五台山 遠く五台山に至れば
白雪所々残 白雪所々に残る
導師識故事 師に導かれて故事を識る
是真冬中春 是真に冬中の春

◆編集便り◆
新しい編集メンバーになってから二回目の禅の会会報です。
今までは、会報を受け取ると、何となく読んでいましたが、作ることは大変なんだと、つくづく分かりました。
今回は漢詩のコラムを掲載しましたが、如何でしょうか。俳句のコラムも考えています。ご意見をお聞かせ下さい。 (晃)
トラベルサポーターとして車椅子を押していると、若い方からよく「お手伝いしましょう」と声が掛かります。
『やさしさ』が増してきた様に思います。これからの社会に期待しましょう。 (慎)
恵林寺の真北に位置し、夢窓国師が坐禅したという乾徳山(二〇一六m)に登りました。
森、草原、岩の三拍子がそろい、雲海に浮かぶ富士も見事(らしい)。
往復五時間、露天風呂も楽しめる、もう一度登ってみたい名山です。 (豪)
早朝、人々の行き交う雑然とした街の風景の中に、托鉢する黄色い衣の若いお坊さんの姿がとけ込んでいました。
五月、バンコクを旅して。 (相)