◆三門の言葉◆
安禅は
すべからず
山水をもちいず
心頭滅却すれば
火もまたすずし

「一生一回、生命一個、一生懸命、生きましょう。」
松原 哲明
人生、油断していると、何もしないうちに終わってしまうような気がしてならない。まだよく分からないけれど、最初と最後だけがはっきりしていて、その間の一生が、何となくモヤモヤして終わってしまうようだ。始めの生と終わりの死とが明確であって、その中間の一番長くて大切な「私はどう生きる?」ということが不明確なような気がしてならないのである。
そこでまず、一番初めになすべきことは、自分を見つめることであろう。たった一度しか与えられていない人生を、何が何だか分からないままに、モヤモヤとしたままで終わらせないために、でもある。それに、本当によく知っているようで、実は知られていない自分自身をつかまえることから始めたい。
自己を見つめる、一生とは何かを見すえる。それには禅が格好であるようだ。坐禅して自己を見つめていただきたいのだ。そうすれば自らお分かりのように、なんて自分というものは頭や心の中がいつも右往左往しているか、ということだろう。坐っているうちに、頭や心の中は、次から次へと雑念がわき起こっては消え、いつまでたっても鎮めることができないではないか。つまり、われわれの一生は、かくほどに、右往左往なのである。ひと時たりとも頭も心も安定していないことを知る。
ではどうしたら、安定した人生を送れようか。それにはまず、自分自身を右往左往させずに落ち着かせることだ。そのために、坐禅がある。坐禅によって、自己を安定させれば、周囲が安定して見えるものなのだ。自分を安定させないから、左右にふりまわされるのである。
坐禅を続けてごらんなさい。よき指導者のもとで正しい坐禅をしていくうちに、人間の一生が、本当に一生一回、生命一個ということを実感する時が来る。こんな当たり前のことを、実に当たり前と本当に覚ることが、本当の人生のスタートなのである。生命の尊さ、すばらしさ、大切さを知らずして、どうして人生を言えるのだろうか。
まず、しっかりと、自分の一生は一回なのだと知ることである。それと同時か、少し遅れて、周囲の生命もみんな一生一回で、生命が一個であることを体験するであろう。その時、あ、みんな同じなのだとつくづく思う。みんな条件が同じなのだから、自分さえよければという劣かな考えが成立しないことを知る。そこから人生の中身が濃くなるのだ。
一生一回、生命一個、だから一生懸命、生きなければいけない。
(後略)
松原哲明 著
私を変えた禅的生き方の知恵
「自分を信じて生きよ」より
第二十四回南無行
報告子
八月二十五日(金)〜二十七日(日)の三日間二十四回目の南無行が身延山久遠寺で行われた。身延山での南無行は三回目で約八十名が参加。禅の会からは笠井・鵜野・三浦・芝宮・大久保(松本)・縣(夫婦)(敬称略)が参加した。久遠寺周辺は下界と同じく大変暑く汗の絶えない毎日だった。
第一日目。午後二時より松原泰道先生を導師に開会式。黙照・お経等の読誦のあと泰道先生並びに身延山総務の伊藤通明先生のご挨拶。記念撮影のあと身延山の望月海淑先生から「法華経と日蓮聖人」のテーマで、法華経の中に自分の居場所を探して欲しいとの法話があり、続いて泰道先生からは「一期一会」というテーマで、人でも、道具でも、よい教えでも、出会った時が別れであり命を粗末にしてはいけない。そして『ありがとう』は「有難、稀有」=厳粛な気持ち、『すみません』は「済ませていない」=恩返し・敬虔、『はい』は「本当の自分にめぐり会える」=邂逅、であり、三語の頭の字を取って「あすは」と言う気持ちで生きていくことなどお元気な声で心にしみるお話をいただいた。このあと宿舎の「北之坊」で夕食そして風呂。湯上がりにのんびりしたい所であるが、八時から「唱題行」。まず正座して十分近く心を静めたあと大太鼓に合わせて「南無妙法蓮華経」を緩急緩と変化させながら約二十分位余唱え続けて全体では約四十分位の行で汗ばむ程であった。九時三十分に就寝。
第二日目。四時半起床であったが、隣の棟に宿泊している「沙弥」(修行僧)の唱題(南無妙法蓮華経)が四時頃から大きな波の如く押し寄せてきて目が覚めてしまった。五時に集合、久遠寺の本堂で朝勤。僧と沙弥合わせて百三、四十人位が唱題そして読経、壇信徒は焼香。約一時間の朝勤は物凄い迫力で圧倒されるような感じであった。作務、朝食のあと久遠寺の諸堂(本堂・祖師堂・御真骨堂・仏殿・客殿など)を若いお坊さんの説明をうけながら一時間余参拝。ロープウエイで身延山山頂(一二四七m)へ約七分で上る。ここは日蓮聖人が房総の両親を追慕された地で、奥の院と呼ばれる思親閣がある。参拝した後、おにぎりと味噌汁の昼食。ここはやはり涼しく凌ぎやすいが、天気が悪くガスがかかって残念ながら下界は全く見えない。三々五々ロープウエイで下り宿坊に戻ってから写経。「観世音菩薩普門品偈第二十五」を約二時間、しびれた足を座り変える音だけが聞こえていた。その後昨日と同じく八時から唱題行。虫の声を聞きながら昨日より少々長い約五十分間汗ばみながらの行であった。
第三日目。一時間遅い五時半起床であったが、今日も霧に包まれた山の中からわき出て来るような「南無妙法蓮華経」の唱題で四時頃から目が覚める。六時、宿坊の本堂で無着成恭先生の導師で唱題とお経等の読誦による朝勤。軽い体操、作務、朝食のあと八時半より無着成恭先生の「子供社会に今、何が起きているか」というテーマの法話があった。「いのちの重さについて教えられていない」「人間としての資格(人格)はどこからでてくるか教えられていない」「おとなになるということはどういうことか教えられていない」「学校教育では子どもをおとなにすることはできない」等についていろいろと考えさせられた。今回の南無行の感想文は俳句で提出という新しい試みだ。五七五であれば季語が無くても下手でもよいと言われたが皆四苦八苦であった。十一時半より閉会式。黙照・お経等の読誦のあと参加証をいただく。身延山からお土産にお饅頭までいただき昼食のあと一時頃解散。日蓮宗のお寺でいろいろと異なる雰囲気に圧倒された三日間だった。なお来年は八月二十四日〜二十六日函館で行われるとのことである。

見 跡 (三十八)
弘舵郎
とに角身体の達者のうちに船で地球を廻ってやろうと念願してたところ、たまたま一五〇万円位で九〇日間かかって一周するピースボートなるクルーズのあるのを知り、思いたったが吉日で去年十二月に申込みと払込みを終り五月二十二日晴海を出航、八月二十二日の夜中の二時に帰港上陸した。
渡った海は、南シナ海、マラッカ海峡、印度洋、紅海、スエズ運河、地中海、アドリア海、ジブラルタル海峡、大西洋、カリブ海、パナマ運河とぬけてアメリカ西岸を北上しバンクーバーから太平洋を斜めに横切って晴海に入港した。寄港した港はマルセイユ、リバプール、ニューヨークという一流どころでなくて専ら裏街道でほんこん、ダナン、シンガポール、スリランカのコロンボ、セイシエルのヴィクトリア、ケニアのモンバサ、エリトリアのマッサワ、ポートサイド、イスラエルのアシュドッド、ギリシャのピレウス、クロアチアのドブロニック、イタリアのチビタベキア、カナリア島のラスパルマス、キューバのハバナ、メキシコのアカプルコ、バンクーバーでした。乗客は約六〇〇名、大部分は日本人で女性が稍多く、二、三十代が七〇%の感じでした。乗組員は男女約二〇〇名、ロシアのウクライナ人でした。船内は日本人が英語を話し外国人が日本語を喋るという社会で、各種の講座、音楽会、運動会、赤道祭、マージャン大会、ファッションショー、ルシアンティ、等々で退屈はありません。私も引張り出されて「昭和を生き抜いた男」と「海と船の雑学」を三回やらされて、船内知名度が少しはありました。
自分をみつめ、考える時間も多く勉強になった。どうしても会話は自慢話、自己顕示、すぐボロを出す自分の売り込み話等が多く、戒めになった。ネタは沢山できたので少しでも人生のお役にたつよう続けて書かしていただければと考えてます。八月十五日十二時五十五分に汽笛を吹いて日付変更線を通過した、即十六日になる。日の出があって日没がなく、日の出がなくて日没のある日の体験をした。

◆編集便り◆
☆憂き世はいやじゃと旅にでたが、やはりこの世がなつかしく、赤チョウチンにとびこんだ
(弘)
☆三宅島の噴火、名古屋地方の豪雨禍で被災された方々にお見舞い申し上げます。
大自然のエネルギーの巨大さに唯々畏怖するばかりです。
「秋 出水引きたる草の靡きざま 六甲」
(元)
☆今月の誕生石はオパール(幸福・克服)。誕生花は菊(清浄・高貴)。
そして今日7日は、アウトドアスポーツの日。稔りの秋に体を鍛えましょう。(房)
☆朝晩涼しくなりました。晴れた昼間暑いので、夜も薄着でつい風を引かれたとの話をよく聞きます。
皆様お身体には充分ご慈愛のこと。(慎)