一度きりの人生どう生きるか
松原 哲明
無明とは明らかになしと申す文字にて候
沢庵宗彭禅師(1573〜1645)の著、『不動智神妙録』の冒頭の一句である。沢庵が柳生但馬守に示した剣禅一致を説いた書物である。
沢庵はいう。人生は、そもそもが、無明なのだ。未知なのだ。だから人生は、迷うことだと。迷うから人生なのだけれど、その道を究めつくした達人たるものは、いつまでも迷ってはおられないのだと示している。
さて人生は、未知なものである。どれくらい生きたらどういうことになるのか、人生なるものを一度全部生きたことがあれぱその体験をもとに生きてゆくことができるけれど、とにかくはじめての一生だから、みんな工夫しながら、手さぐりで生きている。みんな口には出さないけれど、自分の人生に自信がないし、疑心暗鬼なのだ。口にすれば底が破れるから、出さないだけである。
人は、みな、迷う。でも、大切なことは、達人たるものはいつまでもくよくよ迷ってはいないということである。迷うということは、そこに立ち止まるということだ。だから達人も迷うけれど、瞬時にしてそこから立ち去る。いうことは易しくやることは難しいことだけど、いつまでも一点に立ち止まらないことが、迷いから脱けきるコツである。たとえば、一輪の花があるとしよう。花は自ら芽を出し花を咲かせ、やがて実を結ぶ。常に前向きである。決して退かないし立ち止まらない。立ち止まったら死を意味するからだ。(中略)
この身は無常なのに、本当にこの身が無常であると実感していない人間を無明というと、いい換えてみれば、一生が一回しかないという真実を、ひっ迫して考えてない人があまりに多すぎるということだろう。一生が一回なんだぞといっても、どっぷりとぬるま湯につかってのらりくらりと生きている人が多すぎるというのだ。一生が一回から、こんなことしてられないという人間が、少なすぎるのである。(中略)
人生にはテーマが必要なのだと思う。何もテーマなどないという人がいるが、それでも一つのテーマに変わりはない。ま、そういう人間は例外として、自分は二度とない人生をこう生きるという目的がなければ、前向きに燃えて生きられぬと思うがどうだろうか。
人生に師匠が必要だと私は思う。なぜなら人生は未知で無明なのだからどこに谷底や崖が待ち受けているかも知れない。一方、私たちは未知の山岳に登るとき遭難を避けるために地図やガイドを用意する。そういうことを知っている人間が人生の師を持たぬのはおかしいではないか。未知の人生をどう生きるか、それを的確に教えてくれる人生の師を、草むらをかきわけても一日でも早く見つけよと禅では教えている。(後略)