禅の会会報 第40号(2000年6月3日)
一度きりの人生どう生きるか
松原哲明
無明とは明らかになしと申す文字にて候
沢庵宗彭禅師(1573〜1645)の著、『不動智神妙録』の冒頭の一句である。沢庵が柳生但馬守に示した剣禅一致を説いた書物である。
沢庵はいう。人生は、そもそもが、無明なのだ。未知なのだ。だから人生は、迷うことだと。迷うから人生なのだけれど、その道を究めつくした達人たるものは、いつまでも迷ってはおられないのだと示している。
さて人生は、未知なものである。どれくらい生きたらどういうことになるのか、人生なるものを一度全部生きたことがあれぱその体験をもとに生きてゆくことができるけれど、とにかくはじめての一生だから、みんな工夫しながら、手さぐりで生きている。みんな口には出さないけれど、自分の人生に自信がないし、疑心暗鬼なのだ。口にすれば底が破れるから、出さないだけである。
人は、みな、迷う。でも、大切なことは、達人たるものはいつまでもくよくよ迷ってはいないということである。迷うということは、そこに立ち止まるということだ。だから達人も迷うけれど、瞬時にしてそこから立ち去る。いうことは易しくやることは難しいことだけど、いつまでも一点に立ち止まらないことが、迷いから脱けきるコツである。たとえば、一輪の花があるとしよう。花は自ら芽を出し花を咲かせ、やがて実を結ぶ。常に前向きである。決して退かないし立ち止まらない。立ち止まったら死を意味するからだ。(中略)
この身は無常なのに、本当にこの身が無常であると実感していない人間を無明というと、いい換えてみれば、一生が一回しかないという真実を、ひっ迫して考えてない人があまりに多すぎるということだろう。一生が一回なんだぞといっても、どっぷりとぬるま湯につかってのらりくらりと生きている人が多すぎるというのだ。一生が一回から、こんなことしてられないという人間が、少なすぎるのである。(中略)
人生にはテーマが必要なのだと思う。何もテーマなどないという人がいるが、それでも一つのテーマに変わりはない。ま、そういう人間は例外として、自分は二度とない人生をこう生きるという目的がなければ、前向きに燃えて生きられぬと思うがどうだろうか。
人生に師匠が必要だと私は思う。なぜなら人生は未知で無明なのだからどこに谷底や崖が待ち受けているかも知れない。一方、私たちは未知の山岳に登るとき遭難を避けるために地図やガイドを用意する。そういうことを知っている人間が人生の師を持たぬのはおかしいではないか。未知の人生をどう生きるか、それを的確に教えてくれる人生の師を、草むらをかきわけても一日でも早く見つけよと禅では教えている。(後略)
松原哲明著『心の器を大きくする本 ●いま「不動智神妙録」の知恵に学ぷ』
より抜粋しました。
軽井沢・作務の会
好天に恵まれた五月三・四・五日の三日間、恒例の軽井沢・作務の会が行われました。浅間山には残雪が多かったにもかかわらず、暖かくて穏やかな日和が続きました。そのお陰で、布団部屋の寝具も万事手際よく片づきました。
日中の作務の後の楽しみな夕餉は、手作りの具が一杯の寄せ鍋と、おでんで満腹になりました。皆さんご満悦でした。
『江戸三十三観音霊場巡り』開催報告
「三宝会」の記念事業「観音霊場巡り」は、四月二+三日信樹副住職様に先達をして自家用車を有志のご協力を十五名で行ないました。
浅草寺に集合、発願の書「延命十句観音経」を先ず唱えました。
これより車に分乗、「駒形堂」・「下谷・安楽寺」「駒込・定泉寺」と進み昼食は文京区役所二十五階のスカイレストラン「椿山荘」でいただきました。晴天の下、遥かに見渡す風景の中での食事に満喫しました。
午後は「小石川・傅通院」から始め、「四谷・真就院」ヘ。ここの観音堂で信樹様より「江戸期の巡礼」についてのお話をしていただきました。
「目黒・瀧泉寺」は目黒不動様の内にあります。「江戸33観音霊場」の結願寺です。観音堂前で般若心経を唱え、ここで少し自由時間をとり、不動様へもお参りをしました。本堂では丁度護摩焚きの最中で護摩の燃え上がった火が、今日の私たちの霊場巡りの厳かさの象徴の様でした。
最後に寵源寺様の観音堂で般若心経を唱え、霊場巡り終了のご報告を致しました。お参りのあと、観音堂前の日向に腰を下ろし、土屋さんが買って来られた「向島の桜餅」をみんなで美味しくいただきました。今日一日暖かい陽射しのもと観音日和と云うのでしょうか、この日和の中で本当に楽しく観音様への霊場巡りをする事が出来ました。
この後の晩炊は信樹様も参加され、全員で田町で賑やかに、和やかに、般若湯も頂きながら楽しく過ごしました。
会員のひろば
弘舵郎
干支(えと)のことなど
三戸(さんし)の虫がでたところで、虫といえばこれも気にかかることで、虫が好く、虫が好かない、虫垂が走る、虫封じ、虫の報ぜ等々でどうも身中には虫が居るらしい。
干支に関連して禅宗の公案がある。それは「丙丁童子来、求火」である。「へいていどうし来りて火を求む」禅語読みでは「びょうどうじ」とある。これは「指評三百則の中巻第二十二」に記されている。
ここで公案を提唱する大それたことはできもしないが、丙丁は前回の順位表にあるように「ひのえひのと」でともに五行の火のことで火の神が火を求めて来たということで、坐禅和讃の「水の中に居て渇を叫ぶが如くなり」と同じと理解するが解説本によれば仏心があるから坐禅も修行も適当でいいやということを戒めていることのようである。
ところで私事ですが、昨年末、縣さんと山口さんにお世話になり私の家でといっても和風ビジネスホテルもどきの部屋で食事を倶にしたことがあった。飲むほどに話も弾んで嫁さんのすみ子さんも交えて話が冒頭の産まれ歳のことゝなり「僕は猿だよ」と言うと「わたしも『さる』ですよ」「工−ッ、わたしもサルなの」「すみません私もサルなんです」ということで、図らずも十二歳違いの猿が四四同席していることゝなり「これは珍しい!カメラ、カメラ!」と興奮して孫に写真を撮らせたことがあった。同じ干支に産まれていることは親近感とか運命感とかが通ずるものがある。私の『さる』はその後暦を調べたら大正九年の庚申であることが分かった。それにしてはよく喋って、聴いて、見てまわってとんでもない猿であって「とても地獄は一定すみかぞかし」間違いないところである。(終)
禅の会にご縁を頂き
斉藤加代子
仏教情報誌の小冊子に目を通しておりました折り、岸本機一先生のお名前が目に止まり早速お電話をしました。かつて岸本先生の著書にて、その浄写されましたお経の文字の美しさに魅せられ、それをお手本に写経に励んだ日々がございました。
その析りに「坐禅はありますか」と何いましたら「禅の会」があることを教えて頂きました。最近しっかり坐る時間が無く、体のリズムが少々狂い出しているのを感じていた時でしたので、ご縁を頂いたと感謝し、私は一人不安を覚えながら龍源寺をお訪ねしたのでした。はじめての寵源寺…そこには一面敷きつめられたかのように白い梅の花びらが、私の緊張する心をほぐして下さるかのように迎えてくれました。
もっともっと坐りたい。そんな思いの中で、集う沢山の方々と新しいご縁を得ていけますようにと祈りながら心軽く帰宅することができました。
ありがとうございました。 合掌
◆編集便り◆
◇「日々旅にして旅を栖家とす」世間から逃げ出すのが本音で、私は今スリランカに向かう船の中です。(岩)
◇梅の実が熟し、紫陽花が色濃く咲く季節になりました。鬱陶しい日々が続いても、心はいつも爽やかでありたいものです。(房)
◇「江戸三十三観音巡り」皆様のご協力のもと無事終了しました。参加の皆さんに大変喜んで頂けたのが嬉しく思います。また来年も何かしなくちゃと勇気付けられました。次の企画も宜しくお願いします。 (慎)
◇このところ五月晴れという日が少なく何となく気分もスッカとしませんが、出歩けば新緑など自然の美しさに心が和みます。『千草の幼き頃』の匂ひかな六甲』 (元)
