───十 牛 図───H 松原哲明
返本還源
仏心仏性が分かるまで随分時間がかかりました。
仏心仏性は眼には見えません
でも、現前に露堂々にあらわれています
水は自ずから茫々、花は自ずから紅と
この境涯をなんと説明したら良いでしょう。
仏心仏性は、心に一物の事をも生じない状態です。眼・耳・鼻・舌・身・意も生じない。これ無生心っていうのです。無生心には意(心)も生じない。
あえて言うならば、空気でしょう。仏心仏性は空気。眼・耳・鼻・舌・身・意も生じていない。
その空気のような仏心仏性のなかにすべての存在があります。すべての宇宙の存在は、仏心仏性に浸りきっています。そうなると、仏心仏性の空気に浸りきっている存在は、すべて仏心仏性をそなえていると見抜く。禅は学問という知識では理解できません。我々は幼稚園の時から頭脳で悉くさばいてきましたが、禅はセンスという智慧の働きなので、学問では突き止められない。
ここまで分かるのに随分時間がかかりました。信仰、通仏教と通り抜けて、やっとたどり着きました。
仏心仏性は空気のようで眼には見えず。しかし、現前にちゃんと現出してるではありませんか。その仏心仏性の空気越しに河は河として流れ、花は紅に咲き誇る。
仏心仏性に浸りきっている、河や花を、そう感じたら、しめたものです。
そうではなくて、河は流れ、花は咲くのは当たり前というのでは、センサーが鈍りきっていますよ。
お正月法要
1月5日(土曜日)午前11時から行いますので、
ご家族そろってお参りください。
| ○法要 |
|
| ○法話 |
松原哲明 |
| ○齋座 |
(ありません) |
| ○会費 |
(お布施) |
駐車場はありません。南北線をご利用ください。
龍源寺へは
都バス
(リンクをクイックして下さい。バスの停留所の写真・案内があります。
)
@都バス 田87 渋谷駅−田町駅
魚ラン坂下下車
A都バス 都06 渋谷駅−新橋駅
古川橋下車
B都バス 品97 品川駅−新宿駅西口
魚ラン坂下・
古川橋下車
C都バス 反96甲 品川駅−赤羽橋駅−五反田駅
魚ラン坂下・
古川橋下車
D都バス 反97乙 五反田駅−赤羽橋駅(循環)
魚ラン坂下下車
E都バス 東98 東京駅丸の内南口ー目黒駅
魚ラン坂下下車
地下鉄
(リンクをクイックして下さい。地下鉄の駅の写真・案内があります。
)
@地下鉄 三田線、南北線、
白金高輪駅下車、5分
A地下鉄 大江戸線、麻布十番駅で南北線乗り換え、
白金高輪駅下車、5分

景徳伝燈録を読む(1)
唐の貞観年間中に、嵩山の安国和尚は黄梅山の弘忍禅師のもとで修行、仏心仏性を見抜きました。そして、さらにセンスを深めるために、終南山の石壁に庵を構えて住みました。
高宗が安国和尚を勅により召そうとしますが、安国和尚は断り続け、禅の名跡を巡り、嵩山・少林寺にたどり着きました。
安国和尚は、ここが自分の終焉の地だと考えます。これより、安国和尚を慕って禅を求める人たちが集まります。
担然と懐譲の二人が、安国和尚の所に参禅に来ます。二人は安国和尚に問います。〔如何なるか祖師西来意〕と。
祖師は達磨大師です。西来は西のインドから来た、であります。達磨大師はインドから禅を伝えたから、西来意でもって、禅とは何かになります。
すると、安国和尚は眼を合わせ、眼をつぶります。眼を無くした。般若心経の無眼で、眼も生じない、無生心。担然はすぐに分かりましたが、懐譲は悟れず、六祖のもとに向かいました。(続く)
〈坐禅会のお知らせ〉
12月、1月の禅の会は、午後の部だけ。
午前は中止。
開山忌〔12月〕正月大般若会〔1月別掲〕のため。
〈写経教室〉
日時:毎月第一土曜日・10時から
場所:龍源寺書院
指導:飯沼定子先生
『ペンで書く・心が楽になる・観音経』
〈書指導〉佼成出版社
費用:2000円
用意するもの:硯・墨・写経用筆・文鎮
破草鞋 松原泰道
新年おめでとうございます
○私は昨年十一月二十三日に満百歳に達しました
○生来ひ弱な私にとって思いもよらぬこと
○しみじみと生かさせて頂いたことを体験いたしました。
○多くのお方から、お花や祝電を頂き有難うございます
○匿名で多額の賀儀を頂戴しました
○礼状の出しようもないので、寺報の紙上で合掌おん礼申し上げます
○私の余命も秒読みの状態で、視力も全く落ちましたが、博多の南無の会の三角弘之さんから、素晴らしい強度のメガネを贈られて、また執筆が続けられて、うれしいです
○幕末の儒者・佐藤一斎先生が「少しでも見える限り、聞こえる限り、学を廃すべからず」と叱り、励まされます。
○百歳記念に『人生を豊かに生きる十二章』祥伝社
○『百歳からあなたへ』海竜社から出版
○寺の近くのレストラン『グレース』で毎月第四土曜・午後五時半から「ミニ南無の会」
○寺では熱心な人達五、六人と勉強会。お蔭さまで私も勉強ができます
○私の布教伝道歴も七十年になります
○私の死はひと休みで、また次の世で布教を続けます
○そこで「私の死ぬ今日の日は、あの世での布教の初日です」と書いたり、お話ししたりしています
○先日『文芸春秋』誌企画で対談
○身体はいよいよ不自由になりました。
柳緑花紅
▼あけましておめでとうございます。
また、お正月。若いときは晴れ着きて浮かれていましたが六十八才にもなれば、そんなこと、アホやないかと
▼夏風邪をひきまして、病院で診て貰っったら、百日咳がはやっているから、といわれました。あれ、三種混合って注射は戦前はなかったのかしら
▼夏が長かったから、秋は短いですね。『碧巌録』第43則に〔洞山無寒暑〕の話があります。ある僧が洞山和尚に問いました。寒暑が到来したときは、どうしたら回避出来ますか?
▼すると和尚が答えます。どうして無寒暑の処に向かって行かないのか。僧は問います。どういうところが無寒暑の処ですか?寒いときは寒いのが本分だ、暑いときは暑いのが本分だ
▼これは寒さ、暑さを聞いている訳ではないんです。寒さも暑さも生じない仏心仏性を論じているんです。そう、一頁に書きました無生心。なんにも生じない、寒さ、暑さも生じないところは何だ。はい、無生心です、という仕組みです
▼安禅は必ずしも山水を須いず、心頭滅却すれば火も自ら涼し。織田信長が武田勝頼の甲斐・慧林寺を火攻めにしたとき、快川国師が、恐れる僧たちに戒めた言葉です。悟った高僧なら、火も自ら涼しいかも知れませんが、そうはいきませんな
▼この語は同じく43則にでてきます。もともとこの詩は、杜旬鶴という人の〔夏の一番暑い盛りに、寺の門を閉めて坐禅する。もともとこの寺に松竹の蔭も無し〕
▼〔坐禅をするにはそんな涼しい場所なんか要りません。心中を滅得すれば火も自ずから涼しい〕とはいうものの、暑すぎては暑さが残り、無生心にはなかなかなれませんよ
▼やがて、僧堂の冬がやってきます。午前三時三〇分には起床して、顔を洗うんですが、手水鉢は氷がガチガチにはって金槌でたたき割って洗顔。思い出してもぞくぞくしますね
▼最近、禅が面白くてたまりません。公案という禅の問答の誤りを見つけるのが楽しい仕事になっています。徳山和尚が四川省から旅立って禅を論破しょうとした時の話です
▼徳山は律の研究家であり、また禅の金剛経にもくわしい方でした。南方で禅が盛んでして、それを論破しに向かう途中、道ばたで餅を売っている老婆がいました
▼あんたが持っている包みはなんだね、と老婆が言うので、徳山は金剛経の注釈書だと言います。すると老婆は、質問したいと言いました。答えられたら餅はタダ、間違ったら他の店で買いなさいと
▼金剛経には、過去心は得られない・現在心・未来心は得られないとあるが、あんたはどの心で餅を食べるのかと。過去は過ぎ去って得られない、現在心は時々刻々と変化して捉えられない、未来心は未だ来ないから分らないという意味です
▼すると、徳山は〔無語〕。老婆にやっつけられたと言うのが通説です
▼違いますな。これでは徳山和尚がかわいそう。過去心・現在心・未来心が仏心に現れたら無生心じゃない。この三世心が生じない、得られないというのは無生心でしょ
▼では、どの心で餅を食べるか。徳山和尚は〔無語〕。語も生じない。これ無生心でしょう。これ仏心でしょう。和尚は、仏心で餅を食べると言ってるじゃありませんか。ぎゃふんと老婆にやられてなんかいませんよ
▼今年は禅、般若心経がまたブームとなります。その証拠は、学研・青春出版社・主婦と生活社・プレジデント社・NHK出版・永岡書店などから執筆依頼が来ているからです
▼信仰でもなく、通仏教でない、ブッダの原点を見つめさせていただける。最大の幸せです(哲)