───十 牛 図───E                 松原哲明

きぎゅうきか
騎牛帰家
(牛に騎って家に帰る=本分を手に入れて、わが家に戻る)

 牛も人も一つになって、ゆらりゆらりと家に帰ろう
 横笛を吹けば、夕日が村に射している
 一つ一つの手拍子がたのしい
 さとったもの同士は心が通じているから言葉はいらない。

 仏心・仏性を牛に喩えています。
 禅には、向上と向下とがあります。

 向上は、坐禅修行して、仏心・仏性に気がつくことを云います。自分の体験で、しかもそれで良いのか確かめた事がないのですが、昨年の四月、青空に一点のキズもないほど晴れ上がった午前、境内のサクラを眺めていましたら、なんとすべてのサクラの花びらの中心がキラキラ輝いているではありませんか。仏心とは光の滴のようなものでした。
〔人は錯覚というでしょうが、こちらは本気。〕

 もう一つは向下。これは光の滴を見た人が見たことのない人にわかりやすく説明することを云います。
 私みたいに、今まで見たことがないような、光の滴を見たら横笛でも吹きながら家に帰りますよ。
 お前さん、そこまでよく頑張ったねと、あるいは自分で自分をほめている、自分の手拍子が聞こえるのかな。〔雀躍というところ〕。
 そういえば、自分でも頑張ったと思うんですが、僧堂を出て以来、ずっと『碧巌録』『無門関』『臨済録』を読み続けてきました。文字では分からない禅も、四十五年も継続読書すれば門は開けられ、鍵ががちゃりと音を立ててはずれることもあるんですな。
 私の体験は眉唾もの。ニセ者ですが、祖師方がこんな経験をした弟子をもったらほめまくりますか。いや、分かったもの同士、ほめ言葉はいらないと。