尋 牛
さとりとは、坐禅をして自分の中に、釈尊と同じ仏心仏性があるのを感知するたとであります。仏心仏性とは、一点の汚れも生じない「不生」の仏心だと盤珪禅師は示し、一点の汚れという相もないことから経典で「無相」とも表現されています。その仏心仏性を「牛」にたとえたのが「十牛図」、中国の廊庵禅師の作で、これから十回に分けて説明しようと思います。原詩はむつかしいので、それを私なりの唄にしてみました。第一回目は仏心仏性という牛を尋ねるので左記のようになりました。
草が茫々と生い繁っている。
それを刈り取り牛を求めよう。
しかし牛の前には広大な山河が横たわり
私をさえぎって進めない。
なんの手がかりもなく、私はもう疲れき
ってしまった。
ただ楓に秋の蝉が鳴くばかり。
母から生れる前の私の心は一点の汚れも生じてないはずでした。ところが生れ落ちて成長していくうちに、その心に草という煩悩がおい茂り、本来の心が全く見えなくなったのです。
その茫々たる草を刈りとれば仏心仏性なる牛が見つかるのでしょうが、坐禅しても妄想や煩悩ばかりが現われて、少しも前進することができないんです。
ただ脚が痛い、コックリ/\が出て、全く手がかりもつかめません。
そんな私をあざわらうように、ただ秋の蝉が楓で鳴いているばかり、です───と。
坐禅なんてと思うかも知れないけれど、一度は、自分って何なのだろうと感知しておく必要があります。それがたった一度の人生の最終目的なんですよ。自分を知らないで死んでしまうなんて、まことにつまらぬ人生だと祖師方は言われてる。
さとれなくたっていいんです。人の世の道理が判れば! 道理という細かな網の中を何回も何回もすり抜けると茫々たる草が抜ける。
この細かな網を「坐禅」と言うのです。

おひがん法要
9月23日(秋分の日)午前11時から行いますので、
ご来山下さいますよう、ご案内申しあげます。
お車での来寺には、駐車場の余裕はありません。
龍源寺へは
都バス
(リンクをクイックして下さい。バスの停留所の写真・案内があります。
)
@都バス 田87 渋谷駅−田町駅
魚ラン坂下下車
A都バス 都06 渋谷駅−新橋駅
古川橋下車
B都バス 品97 品川駅−新宿駅西口
魚ラン坂下・
古川橋下車
C都バス 反96甲 品川駅−赤羽橋駅−五反田駅
魚ラン坂下・
古川橋下車
D都バス 反97乙 五反田駅−赤羽橋駅(循環)
魚ラン坂下下車
E都バス 東98 東京駅丸の内南口ー目黒駅
魚ラン坂下下車
地下鉄
(リンクをクイックして下さい。地下鉄の駅の写真・案内があります。
)
@地下鉄 三田線、南北線、
白金高輪駅下車、5分
A地下鉄 大江戸線、麻布十番駅で南北線乗り換え、
白金高輪駅下車、5分

出版のお知らせ
女性スタッフたちだけで作った、左の本が売れています。
女性の細かなタッチが若い女性のハートをとらえているようです。
主婦之友社発行。
『禅の暮らし』
『はじめての写経お手本帳』
*いずれも監修・松原哲明
『信心銘』入門 松原哲明
道は、かんたん、
好き嫌いがなければネ。
ただ、にくいかわゆいさえしなければ、
道なんて、はっきりするんです。
もしも、ちょっとでも
わたしの忠告を守らなければ
道は、天と地のへだたりになりますよ。
道を見たかったら
平常のままでごらんなさい。
異常では、絶対に道はつかめません。
上は、僧粲禅師の『信心銘』の冒頭にある言葉です。達磨大師−慧可−と禅は流れて僧粲禅師に到りましたので、僧粲禅師は禅の第三祖となります。唐代の方であります。
現在も三祖寺として残り、別名が乾元寺、山谷寺。黄梅県にあります。禅師は門外に影も見せたことがない坐禅専一の方でした。
──傅大士『心王銘』──@
心を観じてみると
それは玄妙でして
説明することができません。
すがたもないし
住処もさだまらないから
つかまえられないのです。
でも、心ほど偉大な力はありません。
心は災いを消してくれるし
徳もおさめられます。
すがたは空だけど
ちゃんと道理がわかります。
右は、達磨大師当時の在家の行者、傅大師作『心王銘』です。しばらくは、これらの禅籍を私の意訳で解説してゆきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
破草鞋 松原泰道
國学者の本居宣長(もとおりのりなが)が、先祖の墓参に身仕度をととのえ
うち向う鏡に親のなつかしきわが影なが
らかたみとおもえば
と述懐します。鏡にうつる姿は、まぎれもない自分の姿です。と同時に、この身体は今は亡きわが両親の形見にほかなりません。
もう少し話をすすめますと、鏡を見ることは鏡に見られることであり、鏡から見守られているのです。このように考えてくると、前掲の本居宣長の詠歎がよくわかり、心からうなずけましょう。
私は、生母と死別してから九十五年になります。私が三歳のときですから、むろん母のおもかげなど念頭にありません。私は少年時代より、老境の今の方が母が恋しいのです。
髪やひげを剃るとき、鏡面にうつる自分の顔のどこが母に似ているのかと母を恋い、母に見守られてる自分を有り難く感謝します。
柳緑花紅
残暑御見舞い申し上げます。しかし、なんと暑いことでしょうか。老親も八月十日頃から暑さのために、青菜に塩の状態です。樹々もハアハアと息づかいが荒くなっております。みなさまはいかがでしょうか。おうかがい申し上げます
▼それにくらべて若い三人の副住職は体力も気力もあるから、私らとは較べようもないほど元気なもの。特に衰えがいちぢるしい私などは、夏の甲子園の選手のようにホテって赤い顔を見ただけで熱中症になりそうです。いや、テレビを見すぎの熱中症なのかしら
▼テレビというと、例の「心の時代」。やっと九月までの収録が終わりました。収録といっても、一切の編集なし。「完パケ」って専門語でいうのだそうで、一時間番組を放送前に収録しておく。だって放送日が第三日曜日の午前五時ですので、前もって準備するわけです
▼スタジオは三台のカメラが見張っていて、カメラを見るとカメラを意識するように映るので、全く見ないようにしてます。スタジオ内はクーラーが効きすぎて寒すぎる。これは出演者のためではなく、ハイビジョンカメラの温度が高くなるのを防ぐためなんですって
▼私などは天下のズウズウしい人間ですから、二回目からはすっかりムードに慣れました。が、第一回目はやはり私も人の子。唇がかわいて仕方がなかったです。よって二回目からは、水を沢山含んだオシボリを用意して、乾きに備えています
▼インタビューはベテランの草柳隆三アナウンサー。やはりプロ中のプロですから、上手なのは言うまでもありません。しかもあの人、頭の回転が早いので、瞬時に何を聞きたいのかを私は読みとらねばならず、収録したあとはドーツと疲れてしまうんです
▼一応、私のテキストを元に、台本がNHKから送られてくるのですが、これを作成して下さる田辺聖三ディレクターは、私よりもずっと長い修行者で、禅の研究も進んでいる方。ですので、台本を理解するのに苦しんでいます。はじめは「もっと哲明節を出すように」と注文され「今日はケムにまきましたねぇ」などとからかわれています
▼しかし、絶対菜食は禅にピッタリ。釈尊も達磨も禅の祖師方も肉食なしで説法された。それを肉魚を食べながら理解しようなんてこと自体が、まちがってるんです
▼草柳アナに、まちがったことありますか?とつまらぬこと聞いたら「えゝ、生放送でも失敗したことあります」と言われ、ずい分と私も気がラクになりましたよ。「目からウロコが落ちると言うべきところを、ウロコから目が落ちる」と言っちゃったんですって
▼この頃は毎月毎月がプレッシャー。どんな資料で話そうかと毎日毎日考え込んでおります。『入楞伽経』にするか『大智度論』がいいのか。『維摩経』『法華経』『大般若経』『金剛経』などをひっくり返しています。真言宗でよむ『大日経』にも禅意が示されていて、もう一回、経典のおさらいをしているところ。暑い夏だけど涼しい書斎で愉しく勉強の毎日です
▼エピソードも出さなくてはなりませんが、あまり自分の話はしゃべくらないように注意してます。そういうわけで、NHKの影響は大きくて、坐禅会は今、一五〇人が参加。坐禅布団と会場の大きさを考えると一杯一杯となりました
▼軽井沢の禅会は茂樹が担当。家内が食事作りに行きます。私はもう意気がキレてしまって昔のようにがんばれません。それに老親のこともありまして食事を作らねばならず在宅です。住職ですから、寺に住まないと
▼正樹が夏休みを利用しての一時帰国。といってもロー教授のカバン持ちで暑い日本各地を視察中です。一週間くらいの滞在で、またコーネル大学に戻ります。良樹は主として龍源寺と鹿野山の禅堂研修にあけくれています。目下、それぞれが目一杯の仕事しています
▼これから慶応大学の茶道部、TKC坐禅会、禅の会坐禅会と軽井沢はめじろ押し状態。先日はJR貨物が、会長・社長以下役員全員で一泊研修。作務・坐禅・写経などにあけくれました。終了後彼らは軽井沢に移動し、精進おとしの肉料理。翌日はゴルフとか
▼その中でNHKの(下)と『十牛図』を執筆中、九月に出版します。『十牛図』は十月に。また生命科学者柳澤桂子さんとの対談が十月三日にNHK総合テレビ朝の「生活ホットモーニング」で放映の予定。九月九日の「生活ホット」では前回の録画。大阪と東京は除く。選挙のため。(哲)