中国・唐代に傳大士という居士がおりました。ちょうど達磨大師の時代と同じで、傳大士は松山に住むよう大師に命じられます。
幼い時は長江のほとりで漁師が獲ってきた魚の見張り役をにない、漁師がまた漁に出かけると彼は魚のカゴに近づき「逃げたかったらお逃げ、居たかったら居ていいよ」と語りかけたといわれております。
十六才で結婚し、二子を得ます。日中は働らき、夜になると坐禅してた。傳大士に『心王銘』の著があります。そこに、
水中の塩味
色裏の膠青
があります。
海水が塩からいのは水中に人間の眼には見えない塩分があるからと。でも、塩からくなくては海水は成立しませんね。
色裏、つまり絵具の中には膠が入っておりますが、これまた人間の眼にふれる事はありません。同じく、膠がないと絵具は成り立たない。
人間の心も同じです。人間の中には人間には眼に見えぬ心がある。なくては人間が成り立ちません。
次の詩は北原白秋の「こさめひたき」。眼に見える色と目に見えぬ声とでもって詩った禅の世界、ぜひ味わって下さい。
色はあり、声にのみ、
こさめひたき、
雫のみこまかなる
この朝あけ。
花はあり、影にのみ、
ひとりしづか、
香のみ寂びたもつ
杉よ檜。
巣は懸る、高くのみ、
ウメノキゴケ、
気色のみ、母鳥や
姿、羽ぶり。
現あり、しろくのみ
濡るる光、
卵のみ、おそらくは
四つか五つ。
色はあり、声にのみ、
こさめひたき、
雫よ雫よと、
ただ幽かに。