弥勒の再来―傳大士(ふだいし)― 松原哲明
中国で達磨大師が活躍していた頃、傳大士とう禅者がおりました。善会大士などともよばれる在家の方で、弥勒菩薩の再来といわれた人です。
十六才で結婚し、普建、普成という二人の子どもがあったとも伝えられています。ずい分と変った性格だったらしく、子どもの頃に漁師のもとで働らき、彼らが捕えてきた魚の入れられた籠の見張りをしていましたが、漁師の姿が見えなくなると、その籠を水の中に沈め「逃げたいものは逃げていいよ。残っていたいのは残っていなさい」と話しかけていたといいます。長じてからは、日中は働らき、夜は坐禅三昧でした。
著作に『心王銘』があります。心が王様だ、一番大切だ、中でも一点のかげりも生じてない、空なる心が大切だと説き始めます。「心空王を観ずるに、玄妙にして測り難し」としています。
心は、目には見えません。よって「無相」と呼びます。そして心は一体どこにあるか不明です。ですから「無住処」と表現します。それは「海中の塩味」のようだと。まさに「玄妙にして測り難し」であります。その心なるものを文字で説明しようとしても不可能です。心は「不立文字」というわけです。
一点のかげりも生じていない。それを「不生の仏心」と盤珪禅師はいいましたが、坐禅中に、「あゝ一点のかげりもないな」と思った瞬間、それが、かげりとなるわけで、そのところを説明できませんから、禅の話をすると、判ったような判らんようなことになるわけです。説明できないので、自知するしかありません。だから禅は面白いし、愉快なのです。
このあたりを『心王銘』は「名無く相無くして、大神力有り」と続けます。やる気を出したら、心ほど大神力を持つものはありません。やる気を失ったら、抜けた気力はいかばかりでありましょうか。
こんなところをNHK教育テレビジョン「心の時代」で放映予定。見て欲しいような、見てもらいたくないような、玄妙にして測り難い気分です。
(毎月第二日曜・午前五時より。第三日曜・午後二時より。一年間です。)
春のおひがん
3月20日(日曜日・休日)午前11時から行いますので
御来山下さいますようご案内申しあげます。
◎法要
◎法話 松原 哲明
お車での来寺には、駐車場の余裕はありません。
破草鞋 松原泰道
今日は! みなさんにお便りがしたくなって「龍源寺々報」にくり入れてもらいました。私も数えの九十八歳で、すっかりおいぼれました。視聴覚共に衰え、腰痛で動作も緩慢で、住職夫妻や三人の孫の副住職、それに嫁いだ娘達や外孫たちの世話になり、数年来、脳梗塞で、ベッドと車椅子の生活をしている家内も含めて大へんな迷惑をかけています。
自分で出来ることは自分でして、出来ないことは皆さんのご厄介になっています。内外の講演もすべて取止めました。ただ月一回、最終日曜日・午後二時半〜四時、世田谷区野沢の龍雲寺(電話三四二一・〇二三八)で公開法座をしています。よろしかったら、電話でお確めの上お出かけ下さい。
寺では、不定期に所用で上京される長崎や奈良や岐阜などの旧知数名が誘い合わせて勉強会をしています。先々月も名古屋市・中日文化センターの会員五〇名がバスで来寺、私が動けなくなったら先き様から来て下さいます。有り難くも忝けないことです。
おかげで毎朝四時ごろから終日、書斎にこもって勉強が出来ます。まだボケていない(自分では)ので勉強が楽しいのです。『大法輪』に、昨年八月号から来年七月号まで二カ年契約で、中国の古典の人生論『菜根譚』です。執筆途中で私が命終すると読者や編集者に迷惑をかけます。
そこで私は、最終回分まで書き溜めをしておこうと思い、脱稿した分はそのつど大法輪閣へ送っていますが、思ったようにペンが進みません。いま私は、若い人たちに“一日一ページ読書”をすすめています。それを聞いたある出版社が、一日二〇〇字原稿(一年三六〇日の課題を添えて)を頼まれました。短篇ほど骨が折れますが、晩学のよい勉強になるので少しも苦になりません。朝起きて書斎に入るのが楽しみです。寒いけれど
。
師父の祖来和尚は、生前に「字書に聞け!字書を引くなどと生意気なことをいうな、字書は聞くもので、引くものではない……」と、私に言い遺してくれたことが、今になってしみじみ胸にこたえます。
私のただ今の心の杖ことばは「希望・工夫・感動」のプラスの3Kです。希望はマッカーサー元帥の座右の銘といわれるサムエル・ウルマンの詞、「希望ある限り若く」によるものです。ただし、私は自分だけの希望に止まらず、だれもが希望を持てるように私は生きたい、と願うのです。
(去る元旦と二日の両日、NHKラジオ深夜便の「こころの時代」で放送した『年々歳々人同じからず』のテープが、NHKサービスセンターから発売されたので寺に取り寄せてあります。よろしかったらお需め下さい。代価一個・七百円(小銭をご用意下さい)
(題字の『破草鞋(はそうあい)』は、禅語で〈やぶれわらじ〉のことです。はき尽してボロボロになって役に立たないわらじです)

お願い(禅の会・軽井沢)
今年四月二十九日(金)から二泊で、軽井沢・日月庵の小屋開きをしたいと思いますので、作務の参加をお待ちしております。
私もがんばろうとは思うものの身体がついてゆかなくなりました。副住職も行ってリードしますので、なにとぞよろしく。
今年の、現在までの利用予定です。
○五月一日〜二日。主婦之友社刊の「禅」 (監修・哲明)の写真撮影。
○五月三日〜六日まで。JR貨物の新入社員訓練。
○六月以降は未定。
詳しくはこちらから
お知らせ
NHK教育テレビ用テキストが完成間近です
「心の時代」 般若心経を読む のテキストがまもなく出来上がります。一年十二回の放送ですから、今月に発売のはその「上巻」です。
八九三円だったかしら。おひがんのとき、玄関に置いておきますので、よろしかったらどうぞ。
『玄奘のシルクロード 心を求めて仏を求めず』
講談社から上梓されました。これで一六九冊目ですが、私は一番、気に入っている作品です。
玄奘三蔵が十六年かかって、中国とインドを往復した旅程通りに二十五年かかって踏破した私の記録なんです。
写真も私。一七〇〇円くらいだったと思いますが、ご批判ください。
『中国禅宗祖師巡歴行記』
昨年、妙心寺の霊雲本庵で刊行した『禅の流れとそのおしえ』は私の監修でしたが、その中の「祖師方を訪ねて」の拙稿をぬき刷りして、自費出版する運びとなりました。
達磨大師から始って、宗祖・臨済禅師まで十一名の祖師の故地をたずねた記録です。
これまた、よろしかったら、お手にとって見て下さい。定価・安くします。
トイレ完成!
本堂にトイレがなく、いち/\玄関脇のトイレまで行ってもらっておりましたが、今年になり、一つだけですが作りました。春のおひがんまでには完成すると思いますので、愉しみにしていてください。
その一階のトイレも男女共用でした。とにかく建築面積が小さいので、トイレが圧縮され不愉快な思いをされた方も多いと。そこで、これまた男・女の二ブロックに分け、春のおひがんまでに出来あがります。
境内整備
井戸の吾妻屋がくさりかけて、どうしょうかと思っておりました。その方が古典的でよかろうと見て見ぬフリしてましたが、だんだん腐り始め、とうとう庭師を入れました。
庭師は張り切ってがんばっておりますが、あちこちつくろわなければならぬところも次々とさがしてくれて。こちらは財布と相談、渋い顔の日々です。
でも、人間でも六十六才を生きるようになってみれば、花粉症、高血圧、糖尿とあちこちつくろわなければだめになる。お寺の本堂も境内も、私と同じく疲れてきたんだと考え、いたわっています。元気に回復している姿をみなさんに見ていただきたいです。
菜 食
昨年の五月から完全菜食に切りかえました。魚や牛・豚などの肉はそれまでもほとんど口にしなかったのですけれど、五月に妙心寺の「あじろ」の精進料理で、やはり食は菜根と目ざめ、十一月の身体検査で、血糖値・肝臓・高血圧などが正常値になったのには本当にびっくりしています。「和尚さん。これが本当の食事なんです」と笑ってました。ビタミン剤なんかのまなくていいです。
品川の京急デパートの食品売場においしい豆腐屋さんを見つけ、旅の帰りに買って調理しているところです。でも、旅先きで菜食しようと思っても日本・中華ではムリ。バイキングでなんとか菜根たべてますが。
柳緑花紅
両親は、相変らず元気で、私どもと共に一つ屋根の下で生活しております。九八才と九十才の老人と病人ですが、食欲も旺盛で、母などは特に私たちの言うことを全く聞かずにわがまま。でも、これも私たちも通る道。私も年をとったならば、絶対にああはならないと戒しめておりますが、さて?
▼長男は東洋大のドクター終了。二男はコーネル大のドクター中、三男は花園大修士を無事修了。とはいっても、まだまだ卵から返ったヒヨコ
▼二月十一日、羽田〜関空〜青島〜石島に巡歴しました。三宝会の仏教研修の旅です。石島と言ってもご存知ない方々がほとんどと思いますが、山東半島の先端近くの漁村です。ここに法華院がありまして、そこに慈覚大師・円仁和尚が二年半滞在したところです
▼円仁和尚は最後の遣唐使「承和の遣唐使」として入唐しましたが、最大目的の天台山をめざす勅許がおりず、日本に戻る途次に二人の弟子と一人の通訳を同伴して密入国。ただちに捕えられ強制送還されますが、大暴風に巻き込まれ流浪、石島に漂着して助かるのでした
▼それから二年半後に、天台山から五台山へと方向を転換し、天台教学を修め、西安でも密教を学びますが、仏教嫌いだった武宗皇帝が、「会昌の破仏」を起こし、僧尼は還俗され、外国僧は強制送還される嵐の中、弟子の一人は病死し、円仁和尚らは転々と逃げまわり、ついに石島の法華院まで行き、そこから博多へと帰国したのです。出発してから十年たっておりました
▼私は円仁和尚の大ファンで追っかけしてます。すでに二〜三回、石島をたずねましたけれど、漁村全体が高級リゾート地になっていたのにはおどろきました。それもそうですが、法華院自体が巨大寺院に様がわりしていたのにもびっくり。六人の尼さんがいて、尼寺となっていたのです。
▼私たち一行十八名がたずねるということで、村から十名近くのボランティアの主婦が集まり、私どもに手づくりの精進料理をふるまって下さったのにも感謝でした。たきたての白米でしたよ。本当においしかったです
▼共産党のエライ担当者が「今年五月に円仁記念館」を開館したいので、資料と写真を送って欲しいと頼まれ、雰囲気に呑まれOKしました。これから日本の、円仁和尚に由来のある寺院などを撮ってくることにいたします。こんなお手伝いが出来るなんて、全く幸せモンですよ、私は!
▼裕福な山東半島はすばらしい高速道路が次々と完成、旧正月と重なり、交通量はほとんどゼロ。乗ったパスは購入五日目の新車で軽快そのものでした。青島はこれまたリゾート地。別荘があたり一面建ちならび、新中国の威力を見せつけられ、家内も青島が一番気に入ったようです
▼青島でのもうひとつの目的は、湛山寺の明哲法師に相見することでした。法師は七十余才。中国仏教協会の常務理事をされていた方で、私はもう十数回お目にかかっています。以前、湛山寺で講演をさせていただきました。そのとき聞いた話では信者が一万五千人。現在、同寺に九十余名の弟子をかかえ、仏教大学を建立。「講義しに来て下さい」と頼まれました。尻軽ですので、行くかも知れません
▼こういう僧は戒律のきびしく、決して女の人とペアで写真はうつりません。が、握手する女性がいて、明哲法師には本当に申訳けなかったと思っています。私があらかじめ注意すれば、ことなかったのに…
▼青島で三宝会と別れ、北京で次の団体の現代禅研究会の僧十八名と合流。いざ鄭州へとフライトと思いきや、大霧とかでフライトキャンセル。夜行寝台に切りかえ八時間かかって鄭州へ
▼嵩山・少林寺は雪。立雪亭がちょうど雪だったので、超ウレシカッタ。昨冬大怪我した二祖庵のリフトも小雪の中。霧氷が美しかったけれど、手がかじかむは、頭も凍結してシャッター切れず、残念至極。千六〇〇段の石段のぼると達磨大師が面壁九年坐禅したところ。これもパス。六十五才にもなったら、せいぜい十段のぼればゼイゼイ。仕方ないです。みんな通って来た道だし、行く道ですぞ
▼バスは中古でヒーター故障。マイナス二度の低温で、ガタガタ震えてました。寒さと疲労とで吐き気もしたりして。夜は、足の裏マッサージで、若い娘さんと歌合戦。年を考えなさい!
▼明哲法師は女性とアンタッチャブル。哲明和尚は、まあ、なんと。この差はいかんとも。帰国して「東京は暖い」と思いましたよ。(哲明)