磨鏡台 松原哲明
湖南省に名山・衡山がある。南岳という。天台宗は慧文、慧思、智で開宗するが、慧思が開いた福巌寺が高い山中に残っている。
南岳懐譲という禅僧がいた。この人は六祖・慧能の法を嗣いだ。ある日、懐譲は伝法院で若い雲水が坐禅修道中であることを耳にした。伝法院は福巌寺の前にあったらしい。
若い雲水は馬祖道一といった。異様な容ぼうであった。牛行虎視というから、歩く時はゆったりと、威風堂々とでもいおうか。人をにらみつける時は虎の眼のように光ったのだろう。舌は長く、鼻の頭を越した。ブッダも額にまで届く広長舌であったという。若い雲水がただ者じゃない法器であることを懐譲は見抜いていた。
「そこで一体、何をしておるのか」と懐譲が馬祖にたずねた。姓が馬氏であった。
「坐禅しております」
「坐禅してどうなるつもりか」
「佛になろうと思います」
すると懐譲はかたわらの瓦をにぎるや、ごしごしと磨き始めた。
「瓦を磨いて一体どうするつもりですか」と馬祖は懐譲にたずねた。
「おお、瓦を磨いて鏡にしようと思っておる」
「瓦など磨いたって鏡になんかなりませんでしょう」
「そうか。瓦を磨いても鏡にならないのならば、
坐禅したって佛になどなれるわけがあるまい」
「では一体、どうすればよいのですか」
「車に牛をつけたとしよう。ところが車が動かない。
その場合、車を打ったらよいか、それとも牛を打ったらよいか」
馬祖「無対」と『伝灯録』も『江西馬祖道一禅師語録』も「答えなかった」となっている。「答えられなかった」ということではない。
このあと、懐譲はすぐに話題を変えているから、馬祖ほどの法器、たやすい問題だから無視したとも考えられる。
実は『維摩結』にも同じようなやりとりがある。維摩が病気になった。ブッダが高弟たちに維摩の見舞いをすすめるが、みんなやり込められたことがあるので辞退した。そこで文殊が維摩を見舞う。その時、いかにしたら同一体になるかという「不二の法門に入るか」入不二の法門をたずねたら、維摩は黙して語らずであったという。維摩の黙と馬祖の無対は合通じるものがある。
「碧厳録全提唱』で山田無文老師は、「無対」でなく次のように記す。「車を打ったって車は動かん、牛を打たねばならん。車は身体、牛は心だ。身体を打っても、心がやる気を出さぬと身体は動かん。問題は心じゃ」このほうが判りやすい。