兜率(とそつの)三関(さんかん) 松原哲明
「兜率(とそつ)従(じゅう)悦(えつ)という禅僧が中国におりました。兜率和尚は修行僧に三つの難問を与えて問います。
君たちが、来る日も来る日も、あたかも草 を分けながら修行し真理を求めるのは、ただ ただ、見性(けんしょう)するためである。さて、この見性 というのは、どういう意味かといえば、君の本分は何かを見極めることだ。さあ、君の本分は何か、使命は何なのか、ただちに言いな さい」
これは『碧厳録』の第四十七則に提示されている、生き方の問題です。『兜率(とそつの)三関(さんかん)』なる公案だ。我々に対する三問の第一番のテストです。
一般にテストといえば、三×五とか、三+五などの数字を扱います。いわゆる、読み書き、ソロバンです。が、数字では答えられない問題があり、それについて全く手がつけられていないのが、現代の教育でしょう。
研究、遊び、労働、余暇、いらだち、対立、嘘などといった草にうずもれて生きている私たち。ワン・アンド・オンリーの一生、もう二度と生れて来ないのに、一体、アンタ、何がやりたいの? と、問います。
第二問は「本分をつかめば、生死を脱することができるでしょう。では、あなたはどうやってこの生死を脱することができますかと。」これが第二問。
龍沢寺の山本玄峰老師のお好きな今様。
世の中は 今 よりほかはなかりけり
昨日は過ぎつ 明日は来らず
世の中は ここ よりほかはなかりけり
よそにゃゆかれず わきにゃをられず
只の人 只の人となれ……
第三問は「死んだらどこへ行くか。」これは「どう生きる」と同じ。第二問と同じ。同じく玄峰老師。
人とたばこのよしあしは
煙となりて 後にこそ知れ
六十よりは七十 七十よりは八十
八十よりは九十 九十よりは百
百よりは 死んでから 死んでからだぞ