融通念仏宗祖
良忍(一六一二〜六二)
平安時代後期に融通念仏宗を起した宗祖僧。天台宗の仏教音楽である声明の中興の祖で、光静(乗)房と号します。延久五(一〇七三)年(一説には延久四年)元旦の生れ。現在の愛知県東海市富木島町(知多郡富田)の生れで父は領主、母は熱田神社社頭大宮司の女と伝えられています。
十三才で比叡山にのぼり、東塔檀那院の良賀について得度。良仁と称しますが、のちに大原に隠棲後に良忍と改めます。良忍は女性の出家希望者にはみずから戒をさずけたといわれています。
少しむつかしくなりますが、比叡山を開いた最澄は四種三昧を修する堂を建てる予定でした。しかし、在世中に建立したのは法華三昧堂だけでした。最澄の遺志を実現し、常行三昧堂を建てたのは円仁です。
そして円仁は常行三昧堂で、円仁自身が中国の五台山の竹林寺で習得した念仏三昧法でありました。
筆者は山岳仏教が好きで、中国での霊地として五台山に何度も足を運んでおります。特に円仁のファンでもあり、円仁の追っかけをするには、五台山は除くことは出来ません。
はじめ五台山に入った三十年前は、竹林寺は鐘楼一つが残るのみでした。その堂の下の一室で、念仏を開いたことがあります。念仏読経の声が五台山中をめぐり、なんとも言えぬ三昧を味わったものです。やはり本場の念仏三昧を味わうには、こちらも本場に出かけなくてはならないと知りました。
さて融通念仏ですが「念仏はすべてのものに融通する。この念仏を行じて浄土に生れることを旨とする」とされます。良忍が阿弥陀如来より直接授けられたといわれる「一人一切人、一切人一人、一行一切行、一切行一行」の詩にたって開かれたものとされます。一は一切、一切は一という、一が全体であり、全体は一つというブッダの根本理念のどまん中を貫くもので、他の宗派仏教とあい通じる。たとえば天台の一念三千のようにであります。ゆえに融通と名づけたのでありましょうか。
のちに大原にかくれ、来迎院、浄蓮華院を創建六十才(一説六十一才)で寂しました。