ブッダは、紀元前463年に、北方インド、つまり現在のネパールの地に生まれました。父はシェッドーダナといい、カピラ城の城主でもあり、執政官であったとも伝えられています。カピラ城の所在ですが、一つは現在のネパールのチロリーコットにある古城、あるいは北インドのピプラワーの地ともされています。そして両国とも、それぞれがカピラ城だと宣言しています。
『五分律』という経典によりますと、そこは雪山に近く、昔カピラ仙人が住んでいたところで、舎夷林ともされ、ポウギラ河が流れているとあります。学説的には北インドの遺構から、ブッダの遺骨の入った壺が20世紀初頭に発見され、ピプラワーがカピラ城であると有利なようですけれど、旅人である小生の感覚では、ネパールのチロリーコットの方が、カピラ城趾であるように思います。それは、この城のすぐ下にバギラ河が流れているからです。ポウギラ河は音写しに漢字で経典に記され、現地の人に尋ねるとバギラ河とネパール語で教えてくれました。ポウギラとバギラは同じ河でしょう。
カピラ城は、シャカ族だけが住んでおりました。シャカとは、漢訳すると「能」。つまり、非常にすぐれた民族の意味で、よって他民族との婚姻は国法で禁じられています。現在でも、ネパールのカトマンズの近くにシャカ族の部落が残っていて、今だに他民族と結婚することは許されていないと聞きました。
ブッダのお母さまは、マーヤーといいました。チロリーコットのカピラ城から直線にすれば50キロも離れていない、デーバダハ城主の妹とも娘ともいわれています。彼女はコーリヤ族とされますが、シャカ族のもとに嫁いだわけですから、コーリヤ族とシャカ族は親戚関係だったのではないかとの推測も立ちます。このとき、妹のマハープラジャーパティも一緒にシュッドーダナのもとに嫁ぎました。
結婚してブッダ生誕まで20年かかったといいます。つまり、幼児婚だったからでした。
(つづく)