入唐40年の修行 松原哲明
円載(〜877)
この僧ほど波乱万丈の人生を送った人も珍しいと思います。天台宗の僧で、幼いときから比叡山の最澄のもとで仏道修行しました。838年には、円仁らとともに入唐、唯一、希望通り天台山に登ることが出来たのです。ために、なかには円載が裏金を使ったのではないかなどと邪推し非難されたものでした。これについては円仁の入唐求法巡礼記にはっきり書いてあるとおり、円載は長期留学生、あとは短期留学生で遠方の天台山にゆく時間が足りなかったし、円載は天台宗の教義の疑問点を天台の高僧に提出して、それを持ち帰る使命が与えられていたからでした。教義の50に及ぶ疑問点は即座に回答できるものではなく、長期留学生の円載にのみ時間があったからでした。
そのころは天台宗では教義の解釈に疑問が生じますと唐決といいまして、天台山の高僧の指導を受けることとなっていたのです。ようやくのことで解答がでました円載はそれを携えて帰国しようとします。しかし、官民が円載の人徳に惚れ込んで帰国させてはくれなかったのでした。本朝高僧伝に、頻りに行装を留む、とありますから邪魔して帰してはくれなかったのでしょう。
円載は仕方なく、弟子の好仁に50の疑問の答釈を持たせて日本に伝えたのでした。円載の人柄に惚れ込んだのは円載周辺の人だけではありません。皇帝の宣宗までが円載の力量を並々ならぬことを見抜き、勅して首都長安の西明寺に住まわせ宮殿に召し経を講じさせています。
その後、留学僧の円珍が唐に入ります。そこで、円載と出会うものの2人はうち解けることもなく敵対します。当時、我が国で対立していたこともあったのか。円珍はひどく先輩の円載の悪口を書きました。ここは、他宗のこと故、これ以上はふれません。
さて、877年、円載は荷年に及ぶ留学ののち、船で帰国します。が、難破して溺死してしまうのでした。私は、円載は悪口を言われるような人間ではないことを信じて疑わない1人です。でも、それをはらすことはなく海の藻屑となった円載がかわいそうで、ここに紹介して、海の底から助けてあげてみたかったのですが。
秋のお彼岸法要
9月23日(秋分の日)午前11時から、おつとめいたしますから、ご来山下さいますようご案内申しあげます。
20世紀、最後の総供養です。
ご先祖がおられたから今あるあなた。今あることを感謝しつつおまいり下さい。
地下鉄・開通のお知らせ
念願となっておりました地下鉄の三田線と南北線が、まもなく開通します。
○三田線です。西高島平から巣鴨、大手町を通り、東京目鎌線の武蔵小杉までの直通運転です。
龍源寺へは、白金高輪駅下車。徒歩5分。
9月26日開通です。
○南北線が12月12日に開通します。
やはり白金高輪駅の上下車となります。
南北線は麻布十番駅で、大江戸線と連絡しますので、練馬や築地、上野や飯田橋からグーンと近くなります。
禅の会のテキストが変わります
毎週第1土曜日の午後1時30分からの坐禅と講話の会は毎回50人前後と、この種の会としては例をみないほどの盛況です。今までは、天台小止観をよんできましたが、10月からは般若心経に変わりまずので、ご案内申し上げます。天台小止観はまだ途中ですが、ポイントは終わりましたので、もう1度原点に戻って、みなさんと仏教を勉強したいと思います。
若いと思っておりました自分も60歳。ちょうど仏陀が般若心経を説き終えた年齢になりました。よって、昔とは違った私の般若心経がもしかしたら話すことが出来るのではないか。また違ったことが学べるのではないか。自分に、そういう意味で、期待を込めています。
一つ一つ納得できるような、わかりやすい般若心経ができますように、そして、話の中に仏陀の生涯、日本の文学の中に流れる仏教思想、そういったものも含みながら進めてみたいと考えています。もちろん、みなさまの参加がなくては盛り上がりません。どうぞ、今にもましてご参加ください。
また、禅の会終了後ご三宝会も、正法眼蔵随聞記がそろそろ終わります。つぎは、夢中問答集を読みたいな、と考えています。夢恵国師の作。原文を読みます。易しいです。
柳緑花紅
▼残暑お見舞い申し上げます。毎年、夏の暑さにはとはと参ってしまうのですが、今年が一番ひどい真夏のように思いました。夏の思いでとしては、6月の末から7月のはじめにわたって、中央アジアのキルギスから、オムルベック兄弟を日本に招いたことでした。
▼オムルベックさんは私たちのキルギスの首都ビシケクの日本文化センターの所長をしていただいてキルギスの子供たちに日本語を教えでもらっているかたです。日本人全体では、昨年キルギスで発生した日本人鉱山技師4人位数事件の時の日本語通訳として記憶に残っているかもしれぬ人です
▼事件発生以来半年経過しており、あのとき彼が居なかったら日本人は助からなかったかもしれないとさえいわれている恩人で、そのお礼と、再会を願って来日してもらいました。自分は2回日本にきているため、今回の3度目は是非とも兄に日本を、ということだったのです。両者の旅行費はキルギスに行ったことのある人たちに呼びかけてカンパを募ったのです
▼6月24日に成田空港に迎えました。彼らはすぐに三井金属の社員とともに三井金属のスケジュール下に入りました◇29日からは龍源寺の担当です。まず、滞在した都ホテルでパーティー、翌日は静岡で。それから帰京して、家内の案内で水上公園、海ほたる、水族館などを巡りました。海のないキルギスですから、海を堪能してもらいました
▼キルギスはシルクロードのステップ草原のみち、青々と茂った草原の大自然豊かな大地です。年間の降雨量もたしたことがないのに2人は7月1日の東京の集中豪雨を体験して、弟は体験済みですけれど、兄は初体験。あまりの雷のすごさと、大雨に驚いていました。また銀座や渋谷をドライブして日本の盛り場もみてもらいました。掛川ではヤマハ工場、東京ではソニーを見学しました。そしてたくさんの思い出を残して七月七日、関西空港からトルコ航空でイスタンブール経由キルギスに帰っていきました。私たちは関西空港まで送りました
▼彼らが日本に招待されていることは極秘にという外務省からの強固な要望のために来日がオープンになりませんでした。私たちは宣伝のために彼らを招待したのではありませんからどうってことはありません。しかし、2人にしてみたら、なんというさみしい招待の仕方なのだろうといぶかったと思っております
▼それは何か国の事情なのでしょうといわれた国のある高官の意見で腑に落ちました。今回の来日に際しひとかたならぬ手配とアドバイスを頂きました、総代の荒尾雅也さんに深甚の謝意を表する次第です。決められた範囲内で、満足してもらえた歓迎を演出してもらわなかったら、あれほど彼らは、感激したでしょうか。2人がキルギスに着いたと同時に、向こうから無事到着の電話が入りました。懐かしいキルギスの連中がみんな日本文化センターに集結して、これから帰国パーティーにはいるのだそうです。ご協力頂いた関係者のみなさまにこの紙上で御礼申し述べます。有り難うございました
▼なぜ、松原哲明がキルギス人とお友達になれたのか。それはいまから10年もまえのことです。ツアーを組んでキルギスに行きました。ここは、三蔵法師がはるばるインドに向かったルートですから、旅行が許されてすぐに出かけたのです。たぶん、われわれの団体がキルギスに入ったのが第1号でしょう
▼当時は隣のカザフスタンのアルマトイ空港に着きました。出迎えの中に日本人が居ました。なぜこんな処にと思っていました。それが、日本人そっくりさんの彼だったのです
▼その出会いから、日本文化センターが生まれ、今では三男の行樹が何回も単身出かけ、日本文化センターのためにこれから私と一緒に全力投球しようときめています。彼が僧堂を出たら、現地で強力に友好をすすめるはずです。なにしろロシア語、キルギス語が少し話せるのが強みです。やってやれないことはないときめております。治安が落着いたらキルギスに行く計画です。お待ちしています。ご参加を
▼副住職の二男の覚樹が留学のためにアメリカに渡りました。帰国は3年後です。その間、信樹と行樹と2人が、がんばってくれるはずです。のんきに引退をきめておりましたけれど、あと3年は働らかなくてはなりません
▼千葉武彦禅士も1年の平林僧堂の修行を終え、10月6日に帰ってきます。翌7日の禅の会にでも報告会しましょうか。(T‐M)